趣味はUFO

 例えば、鉄道の雑誌って種類が多い。

 なぜあんなに数があるかと言うと、鉄道を趣味にしている人の捉え方が違うのだ。「旅行したい」、「撮りたい」、「模型にしたい」、「理想の交通としての議論がしたい」、「とにかくデータが欲しい」、「美しい写真を眺めたい」。自分の若い頃の思い出の鉄道に特化した雑誌もある。


 今ではだいぶ平均的になったけど、目的別に住み分けていた。住み分けていて、それぞれは別のタイプだけど「鉄道が好きな人」として認め合っている。そりゃ中には撮り鉄を攻撃する乗り鉄とか、いまだにいるんだけど。

 それに対して、UFOの出てくる雑誌って以前は色々あったのに淘汰されてしまった。「ムー」しかない。以前は「秘密兵器説」が幅を利かせていた事もあって、航空雑誌にも出ていたというのに、今は多分それはできない。UFOだって色々な捉え方をする人がいるはずなのに。

 自分の参加している「UFO手帖」は、ASIOSの本とはまるで性質の違うものだ。でも「同じようなもの」として扱う人がいる。正直にいってこの二つの共通点は「UFOは別に宇宙人の乗り物でなくてもいいんじゃないか」ぐらいだと思う。たったそれだけの理由で同じに扱われるのはどうかなあと思うんだよね。宇宙人説以外を全部「懐疑」カテゴリーにぶちこまれるのは遺憾だ。

 UFOファンは、全員が全員、有名なライター(もちろん肯定・否定両方だ)の言う事にうんうん頷いていればいいのか? 違うはずだ。それこそ思考停止だ。

 ある人が、肯定派寄りなんだけど「と学会」の本も楽しみにしていたと言ったら、宇宙人説肯定派で名前の通っている人に「それは自分の説が否定された事がないから」云々って言われていたそうだ。

 でも、普通の趣味は他人の「説」を否定していいと思う。当然、否定というのは「説」の否定であって、人格攻撃の事ではない。そして根拠があればなんだけど。

 私が種村さんの「ブルートレインという呼び方=『はくつる』運転以降説」に疑問を呈してもいい。実際には種村さんは1973年の段階では「誰がいつ言い出したのかは判らない」と書いているんだけど、はくつる以降説が一人歩きしているのが現実だ。

 人格攻撃で思い出したが、どんな趣味でも精鋭的な人が「余計な一言」を言って、その趣味ジャンルを前に進まなくしてしまう事はよくある。この人のこの発言が無ければ、もっとこの趣味は繁栄していたかもしれないのに。

 で、またこの「余計な一言」が一部から拍手喝采を受けるのね。人が入って来にくくなるだけなのに。あれ、なぜだろう?

 捉え方が異なる場合、先にも言った「撮り鉄」と「乗り鉄」のように住み分けをすればいいだけじゃないか。そして、納得いくなら、たまには「撮り鉄」が「乗り鉄」の本を読むというのもいい。

 あの「ムー」は「ムー」(あるいは「ムー民」)という一つのサブジャンルだと思う。「ムー民」以外の人がUFOを趣味にしてもいいと思う。

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