「ウケる同人誌」ではいけないのか

 同人誌について、「作る人の自由にやって欲しい」という人がいる。でも、作り手はこういう意見は信じない方がいい。ウソだからだ。

 私は、「かんきゅう舎」では、かなり好きにやっている。でもイベントでは2冊とか5冊とかしか売れなかったりする。「俺が好きなようにやった本」は受け入れられないのだ。「MS明朝はいやだ」、「コピー本じゃいやだ」等と言われて。
 好きにやったんだぞ。内容を見ろよ、内容を。

 よく、同人誌をやっていると、「好きでやっているんだから」と言われるが、それは評論情報系だと取材が面白いんであって、即売会の会場で暑い中、寒い中、一人ぼっちで1日座っているのが楽しいのではない。

 オフセット本という訳には行かない。沢山刷らなければならないし、高額だし、家に持って帰っても置くところが無いから、帰る前に会場で全部棄てるしかない。他人の手に渡らないように。

 だから、沢山(例えばオフセットの最低ロット数)売るためにウケを狙うというのは否定しない。

 この場合の「ウケを狙う」は何も「ヒット作のパロディ漫画をやる」や「エロに走る」に限らない。

 旅行、メカ関連の所を回ると「表紙が(オリジナルではなく)有名どころの雑誌の装丁そっくり」というのがある。もちろん、本人が好きなんだろうけど、それだけで目立つし、買ってくれる人がいる。

 表紙だけでなく、見る人を想定して、その人が馴染んでいるであろう誌面構成と、そっくりにするというのもありだろう。

 いらすとやのカットがウケているなら、取り入れるというのも一つの手だ。

 このサブジャンルの好きな年齢層はこの世代だから~と、ガチで調査して完璧に話を合わせるというのもいいと思う。

 私は、人の出逢いは偶然の要素で成り立っていると思う。「UFOを目撃した」というのも多くはそれだ(何か脳内に理由があるという場合もあるが)。「東京に日帰りで行ける所に産まれた」、「この時代に産まれた」そういうのも偶然だ。

 でも結局それはウケないのだ。「縁を感じますね」の方がウケる。もっとも、さすがにそんな思ってもないウソはつきたくないもんだ。

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