スミレのクレヨン。

 そのクレヨンは、タローちゃんからもらったの。
大きな箱のふたを開けて、わあ、と言ったきり、もう声が出なかったの。だって50色もあるんだよ!
 きみどり、あおみどり、うすみどり、くじゃくみどり、うぐいすいろ、エメラルドグリーン、ビリジアン。みどりだけでも、淡い色から濃い色まで、まるで森の中にいるみたい。
 赤から少しずつ色が変わって、だいだいいろ、レモンいろ、ぞうげいろ。土曜日にママと行ったファーマーズマーケットの八百屋さんの店先みたい。
 うっとり見とれていたら、
「スミレ、ちゃんとお礼を言いなさい」とママに言われて、あわてて
「タローちゃん、ありがとう」と言った。
 コーヒーカップをことんと置いて、タローちゃんは、ひげで半分うまった顔をくしゃくしゃにして、どういたしまして、と笑った。
「ちょうどクレヨンがちびてきてて、新しいの買わなきゃねって話してたの。それにしてもこんな立派なセット!さすがタローね」
 タローちゃんはママの弟で、カメラマン。仕事でしょっちゅうあちこちに出かけていて、時々ふらっとやってきては、めずらしいお土産を持ってきてくれる。
「あら、これ、おいしい。スミレもいただいてごらん」ママはタローちゃんのお土産のクッキーをつまんで、目を丸くしている。私はクレヨンの上にそうっと薄紙をもどして、ゆっくりふたを閉めた。

 「神戸の街で、感じのいい画材屋があったんだ。このクレヨンが目に留まってね。よろこんでもらえてよかったよ。クッキーは編集者さんが帰りにもたせてくれた。なかなか手に入りにくいらしいよ」
 白いクッキーの真ん中にオレンジ色のジャムが乗っていて、まるでお花みたい。手に取ると、柔らかくてこわれそうで、あわてて口に放り込んだら、甘い香りでいっぱいになって、かむと、さくり、ほろり、とくずれた。
「タローちゃん、これ、すごくおいしいね。スミレ、こんなにおいしいクッキー、はじめて」
「それはよかった。姉さんちに持ってきて正解だった。ひとりで食べてたら、きっとこんなにうまくなかっただろうから」
「ひとりで食べても、同じクッキーだよ?」首をかしげるスミレに
「だれかと一緒に食べたほうが、ずっとおいしいよ。うれしいことは、だれかとわけっこすると、半分じゃなくて倍になるんだよ」タローちゃんはにっと笑って、ぽいっとクッキーを口に入れた。
「うーん、うまい。スミレと食べると2倍おいしい。残りはスミレと姉さんで食べて。あ、お義兄さんにもひとつぐらいあげてよ」
 そう言うと、タローちゃんは、またね、と帰って行った。

 あいかわらずねえ、とママはつぶやくと、もう1個だけ食べよっか、といたずらっぽく笑って、クッキーを取り出した。今度は黒いほう。せーの、で一緒に口の中に入れたら、甘くてちょっとほろ苦い。チョコレート味のクッキーはほろほろと口の中でとけた。
「こっちもおいしいねえ」「うん!」
 タローちゃんの『2倍おいしい』は本当だ、とスミレは思った。



 翌週の金曜日、スミレのクラスは動物園に写生会に出かけた。スミレはタローちゃんにもらったクレヨンをリュックの中に入れた。まだ使っていないピカピカのクレヨン。50色のクレヨン。何をかこうか、わくわくする。そうだ、クジャクがいいかもしれない。羽を広げたクジャクを色とりどりのクレヨンでかいたら、きっとすてきだろうな。タローちゃんに、あのクレヨンでかいたんだよ、って見せたら、なんて言うかな。

 仲良しのユナと相談する。
「ねえ、スミレ、何かく?」
「クジャクにしようと思ってるんだ」
「いいね、そうしよう!」
 ふたりは鳥のエリアを目指して歩く。
「何かくか決まった?」前からやってきたのはメグとマオだ。
「うん、クジャク」スミレが答えると、
「ふーん、私たちもそうしよっか」と一緒に歩き出した。
 クジャクのオリの前にピクニックシートをしいてじゅんびはオッケー。まずはえんぴつでクジャクをかく。
「スミレ、やっぱり上手だよね」ユナの言葉に、そんなことないよ、と言いながら、スミレはリュックからクレヨンの箱を取り出した。
「わ!スミレのクレヨン、すごい!」ユナの声にメグとマオものぞき込む。
「えー、50色?」「どんな色があるの?」
 スミレはちょっと得意になって、ふたを開ける。
「変わった色もあるんだよ」
「わー、きれい!」みんなのおどろく声に、うれしくなって、カメラマンのおじさんのお土産なんだって言ったら
「いいなあ。私は16色だよ」メグは自分のクレヨンを取り出した。
「私なんて12色」マオが下を向いた。
「私も。しかも折れてのあるし」ユナは自分の古びたクレヨンを見つめた。

「えっと、私のクレヨン、使っていいよ」スミレは小さな声で言った。
「えー、本当?」「いいの?」
 スミレがこくんとうなずくと、
「やったー!じゃあ、これ使わせてね!」とメグがクレヨンに手をのばした。〈くじゃくみどり〉、スミレがクジャクをかこうと思い立った色だ。
「私は、これ借りていい?」マオは〈ぐんじょう〉のクレヨンをつかんだ。
 メグは画用紙いっぱいにクジャクの羽を広げる。マオはぐるぐるとクジャクのむねのあたりをぬり出した。

 ユナがスミレの顔をのぞき込む。
「スミレ、いいの?新しいクレヨンなのに?」
「うん、大丈夫」
 まっさらのクレヨン。タローちゃんがくれたクレヨン。宝物のクレヨン。 
 スミレはタローちゃんの言葉を、心の中でとなえていた。
『うれしいことは、だれかとわけっこすると、半分じゃなくて倍になるんだよ』
「ユナも、よかったら使ってね」とスミレが言うと、
「本当にいいの?じゃあ〈エメラルドグリーン〉使わせてもらってもいい?私のクレヨンには無い色なんだ」
「うん、もちろん」とメグはユナに〈エメラルドグリーン〉のクレヨンを手わたした。
 ユナは、すごくきれいな色だねえ、とふーっとため息をついて、クジャクの羽の目玉もようをくるっくるっとなぞりだした。

 スミレはちょっと迷って、〈はいいろ〉のクレヨンを取り出し、クジャクの足の部分をぬりはじめた。

「〈くじゃくみどり〉って、ばっちりクジャクの羽の色なんだねー」
 メグの声にスミレはちらっと目を向けた。ツンとしていた〈くじゃくみどり〉の先はもうすっかり丸くなっている。
 その時、あ!という声と同時にボキッと音がした。〈くじゃくみどり〉が折れたのだ。まき紙がやぶれて、クレヨンは真ん中からぶらぶらしている。
「ご、ごめん。ちょっと力入れすぎたみたい……」メグは申し訳なさそうに言うと、返すね、と折れたクレヨンを、スミレの箱にもどした。

 我慢していた気持ちが、泡みたいにぶわぶわぶわっとふくらんで、ぷちんとはじけて、思わず涙がこぼれた。そうしたらどうしようもなく悲しくてたまらなくなった。
「うっ、うっ、タローちゃんの、宝物のクレヨンなのに……」
 スミレの涙は止まらない。
「だから、ごめんって言ってるじゃん」
「メグもわざとやったわけじゃないし……使っていいって言ったのはスミレだし……」
 ユナは、ね、泣かないで、とスミレにハンカチを渡した。
「そんなに大事なものだったら、持ってこなきゃよかったじゃん。写生会に持ってきたスミレが悪いんだよ。マオ、行こう!」
 メグとマオは立ち上がって、荷物をまとめてゾウのオリの方に行ってしまった。
「あんな言い方しなくてもいいのにね」
 ユナはスミレの背中をさすってくれたけれど、スミレの涙はなかなか止まらなかった。

 結局、スミレもユナも絵を時間内に完成できずに、持ち帰って家で仕上げることになった。動物園からの帰り道、ふたりともメグとマオとは口をきかないままだった。

「ただいま」
「おかえり!写生会、どうだった?」
 ママに返事もせずに、スミレは自分の部屋に入った。クレヨンを取り出し、ふたを開けた。〈くじゃくみどり〉は、やっぱり真ん中からポッキリ折れていた。じんわり涙がにじむ。

 コンコンと音がして、ママが入ってきた。折れたクレヨンをちらと見て「形あるものは、いつか無くなるのが世の常よ」と言うと、カフェオレを机に置いて出ていった。



 翌日の土曜日、ピンポーンとチャイムがなった。
「はーい、どちらさま?あ、ユナちゃん」
 ママの声に、スミレが玄関に出て行くと、ユナの後ろに、メグとマオもいた。
「あやまりたいんだって」ユナがふたりをぐいっと押し出した。
「あの……昨日はごめん。大事なクレヨン、使わせてくれたのに折っちゃって……」
 メグが紙袋を差し出した。
 スミレが受け取って中をみると〈くじゃくみどり〉と〈ぐんじょう〉と〈エメラルドグリーン〉のクレヨンが入っていた。
「マオと相談して、今日うちのママとマオのママと4人で画材屋さんに行ってきたんだ」
「これはユナに」マオが紙袋をわたす。
「え、私にも?」
「うん、私たちも買ったの。だってさ、クジャクかくのにこの3色いっぱい使うじゃん!なのに持ってないし!」
 メグの言葉にスミレは思わず笑ってしまった。ユナもマオも笑い出す。
「なんで笑うのよ〜」メグも泣き笑いのような顔だ。

「さあ、みんな中に入りなさい。おやつにしましょ」
 ママがミルクティーをいれてくれた。お皿の上にはタローちゃんのクッキー。ユナもメグもマオも、いただきまーす!とポンと口に入れた。
「わー!」
「おいしい!」
「とける〜!」
 スミレも、はしっこをかじる。さくっ、ほろっ、うーん、最高!やっぱりタローちゃんてすごいな。みんなと一緒に食べると、本当にずっとおいしいや。
「ね、明日、一緒にクジャクの絵の続き、かかない?」
 スミレの提案にメグとマオはちょっとおどろいたようだったけれど、ユナがさんせい!と手をあげると、ふたりも、うん、とうなずいた。
「よし、じゃあ明日はスペシャルプリンを作るわよ!」
 ママの言葉に、今度は4人が、さんせーい!と両手をあげた。

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