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『ノースライト』横山秀夫さんとラークマイルド1㎎

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『ノースライト』(新潮社)を読んで、作者の横山秀夫さんをインタビューした。会っておきたい。しゃべっておきたい。話を聞かなければ。そう思わせる作品だ。6年間日々ずっと直していた、というだけはある。昔書いたものに手をくわえるのは大変だ。文章の運びがすごい。一気になんかいかない。考えながら読ませる。

「アサヤマさんが相手だと、どうも煙草の本数が増えるんだよなあ。医者からは控えるように言われているのに、どうしてくれるんですかあ」

 笑いながらジャブみたいに、イライラするインタビュアーだとふってくる。会うのは『64(ロクヨン)』(文藝春秋)のとき以来だから6年ぶりになる。なかなか新刊が出ないものだから気になってはいた。体調を悪くしているのではなければいいのだけど、と。

 この日は取材デーになっていて、ラジオを含め何本もの取材を受け、最終の新幹線でトンボ返りするという横山さんはちょっとインタビューハイにみえた。評判がいいのだろう。ぼやきつつ、よく笑う。
「アサヤマさんとは大喧嘩したんだけど、何でだったか、あまりおぼえてない」
 いきなりそこから入りますか。大喧嘩じゃないですし、わたしはいまでもしっかりおぼえてますよ、とこたえると、
「そうですかあ。あのときはおかしくなったんですよ。皆さんにご迷惑をおかけして」と謝ってこられる。あまりに多忙で家に帰れず、月のほとんどを仕事場に泊まり込み、正常な精神状態ではなかったという。

 たしかに、そうだったのだろう。当時は取材対象としての親近感を抱きつつも、あれほど緊張感をもって取材にのぞんだのはそんなにはない。『半落ち』で直木賞との訣別宣告をしたのち、『クライマーズハイ』で別の文学賞にノミネートされ、ご自宅で結果を待つ人たちのはしっこにいた。そこまでの数ヵ月間を取材した。いわゆる「密着」もので、スタートからいきなり、ゲラを見せるみせないの激論をかわした。交わしたのは、「ゲラはお見せできません」と編集権を理由にする編集者で、わたしはというと両者を眺めているにちかい位置どりだった。

 インタビューであれば自分が話した部分は確認したい。ジャーナリズムの取材であるならば当人にスケジュールなど聞かず勝手に取材し、横山秀夫とはこういう人間だと書かれることに文句は言わない。何れかを選ぶべきだと迫られ、まったくもってごもっともと思った。何時間かそういうことを、高崎の彼の光を閉ざした仕事場で話した。仕事のファックスが机のまわりに無数に吊り下げされていたのをおぼえている。

 まあそんなことがあって、遠くは北海道でイベントがあり出演するというテレビ番組の収録現場にカメラマン、編集者と出向いていったりはするもの、周囲の人に「ストーカーみたいについて来られるんですよ」と笑って一線を引かれ、こちらもまた微妙に距離をはかり、会食はもちろん、喫茶店で会話するなんてこともなく、一度としてなごやかに談笑するということはなかった。突き放されたかんじだった。ただ、その分、じっと横山さんのことを見ていることができた。そういえば、勝手に調査しろと言いながらイベントの告知をしてきては「あとはご自由に」という。突き放すということが、できない性分なのだろう。

 最終的に長時間にわたりインタビューを行うことができ、執筆前に事実誤認を避けるために発言部分の原稿確認をライター判断として申し出たところ、「一切不要。そのかわり、責任を持ってくれ」と言われた。

 その企画は雑誌の看板連載で、本人の言葉と周辺取材を重ね、人物像を描き出す。周辺取材の量を誇るところがあり、「うちでは最低30人には話を聞いてもらわないといけない」仕事はじめに当時の編集者から言われた。もう30年くらい昔になるが。

 ただ、周辺取材の緻密さを売りにするため写真撮影も含め当人に協力をあおぐことも多く、被写体の側からすればインタビューなのか報道なのかが曖昧で、はっきりしろよ、ジャーナリズムならイチイチ本人にスケジュールを聞いて追っかけ取材するなんておかしいだろう、ということだった。
 つまり、インタビューならば記事によって万一にもトラブルを招いた場合、発言の責任を問われるのは自分なのだから確認をしたい。元新聞記者の、まったくの正論だった。

 そういえば、ライターの手本としてきた永沢光雄さん(ノンフィクション作家で『AV女優』はインタビューでありながら優れたルポだった)に生前言われたことがあった。「あれはインタビューだよね」。自分は華々しい人間に興味は向かないし、あそこの取材スタイルは合わないという。わたしはルポだと意気込んでいたし、まだ若かったからカチンときた。わたしがインタビューでなくルポと考えていたのは、時間をかけて現場を見てまわること、周辺の人たちの観察評を織り込むことで重層的な組み立てをしている。しかし、ふふんと鼻であしらわれた。自己満足するために時間をかけているんじゃないの、と。おおまかに言うと、書き手のにおいが感じられない。たしかそんな類いのことを言われた。だったらインタビューじゃんという指摘だった。

 記事が出てから、横山さんから間違いを指摘されることはなかったが、特段の感想もなかった。ただ、最後の最後に、電話で激しいやり取りをした。それを大喧嘩というのならそうなのかもしれない。
 激しい口調から彼が繊細なこだわりをみせたのは、万一にも記事に誤りがあり、書き手の想像しなかったことが起き、そのことから書かれた本人はともかくとして、家族を巻き込むこともある。その覚悟はあるのか。
 よかれと思ったものが裏目になることもある。この世界に絶対ないとは言えないんだ。ぜったいは。横山さんは忘れても、これだけは忘れられない。忘れてはならない。

 文学賞の選考発表を、新聞記者や編集者と彼の家で待っていたときの家族の印象(わたしはつい主人公より脇にいる人に目がいく性分がある)が、横山秀夫を語るには欠かせない。悪印象なものではない。書き込んでいいだろうか。了解をとろうとしたとき、最初は激しく、穏やかに諭すように拒絶された。彼の言い分を聞いて、一理はあると説得されてしまった。そこが、わたしのダメなところだろう。

 ライターとしての経験を幾分積んだころで、愚直に丁寧に取材をすれば間違いなど起こりようがない。思い上がっていたといまなら思う。これまで大きな失敗をしないで仕事を続けて来られたのは、このときのことがあったからだと思っている。だから恩人でもある。だから彼が書くものは全部読もうとしてきた。

 ふだんはラークマイルドの1mgにしているというが、インタビュー中にカラになってしまった。60分の間に5本は灰皿に押しつけていた。つい余計なことを口にしていた。文章がうまくなっただなんて、たとえ絶賛のつもりでもベテラン作家に対して言うものではない。でも。ええっと、わらい返された。「もともとうまいんですよ。時間はかかるけど」。ハハハハと煙草に火をつけ「また吸っちゃた。どうしてくれるんですかあ」と言われてしまった。

 写真撮影の前に煙草がきれたので、次の取材者がやって来るまでに補充分を買いにいくという。買ってきますよと言う編集者に、自分の煙草だからと止める横山さん。「次に会うのは何年後かな」。それにはあなたが書かないと。「アサヤマさん、いくつになりました?」。横山さんのひとつ上です。「そうかあ。お互い生きてるかな」。ハハハ。健康でいてください。

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👆週刊朝日に掲載された記事
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