特殊なクルマを作っている工場を訪ねました(3)


転職して始めた、霊柩車販売業
社長の前職は……


写真©山本倫子

 中古車を改造して霊柩車を製作販売している工場の見学ルポの3回目。引きつづき、ライフサポート・エイワの寺山和夫さんに話をうかがいます。

 寺山さんは40代になってから霊柩車の販売に関わりはじめたそうです。

「もともとは歯科技工士で、入れ歯だとかインプラントの白い歯を作っていました」

 寺山さんは昭和33年生まれ。22歳で歯科技工士となり、歯科医院勤務を経て自宅に仕事部屋をつくり、歯科医さんから注文を受ける仕事をしていた。

「やめたのは43歳のとき。取り引きのあった歯医者さんから、ひきとめられはしたけど。部屋の写真を撮って『機材一式売ります』とヤフオクに載せたんです」

 20年間愛用した仕事道具をネットオークションで落札したのは、新規に歯科医院を開業するという開業医だった。

「落札価格は100万だったか、150万だったか。やめたときにどう思うのかと考えていたけど、やめてスッキリした」

 笑顔で語る寺山さんだが、たまに歯科技工士だった頃の夢を見るという。納期に間に合わず焦っている。長年続けた仕事であり、初めて就いた仕事でもあるからだろうか。

 インタビュアーのワタシも、たまにかつての職場の夢を見ることがある。初めて正社員となった書店だった。店頭で雑誌の整理をしながらタイムカードを押し忘れていたことに気づき、あたふた。実際一度か二度タイムカードを押し忘れたて勤務したことはあった。直属の上司のサインをもらうだけですんだことだった。しかし、夢の中ではオドオドと取り乱している。どれだけ小心なんだか。30年ちかく過ぎても、ときおり同じ夢で起こされることがある。

 寺山さんは、歯科技工士の仕事は好きだったという。顕微鏡を覗いたりしながら小さなものを扱う作業は性分に合っていた。

「女房も仕事を手伝ってくれて、忙しいときに配達とかやってもらっていたんですよね」

 いまでこそ葬儀にまつわる職業に対する忌避感はなくなりつつあるとはいえ、20年前はまだそうでもなかった気がする。霊柩車に関わる仕事をするにあたって、周囲の反対はなかったのだろうか。

「なかったですね。というか、いきなり霊柩車でなくて、徐々にだったから」

 歯科技工士を本業に、サイドビジネスとして一般の中古車の販売に関わり、扱うクルマがいつしか霊柩車に特化していったのだという。

「技工士の仕事は目を酷使するんですよ。四十を過ぎて目が悪くなったらどうしょうという不安と、一回きりの人生なんだから、何かほかの仕事もやりたいなぁと思っていた。中古車の売買に係わるになったのは、そういうときだったんですよね」

 きっかけは、事故物件の車を買購入したことからだ。

「損害保険会社から委託された業者さんだったんですが、発見された盗難車を買ってくれないかという。スカイラインだったんですが、それを個人で買ったんです」

 盗難の被害にあった車両の売買そのものは何ら問題のない合法的なもの。しかし発見された盗難車は傷んでいる場合が多く、所有者も引き取りたがらないことが多い。一般の中古車販売店も、ワケありと扱いたがらない。そこで「善意の第三者」が間に入り、中古車店に転売する。付いたキズなど修理をおえた時点では盗難履歴も明示せずにすむ。寺山さんは歯科技工の本業の傍ら、そうした「転売」の流れの中に位置するやりとりに関わりはじめだした。

「話を端折ると、そうしたサイドビジネスに手を出しているうちに本業よりも収益があがってきた。しばらくは収入の届けもしないでやっていたんですが、法人を立ち上げたときに税務署の査察が入りましたね。同業者から告げ口されたんだと思うんですけど、遡ってソコソコもっていかれました」

 しかし、20年も続けてきた歯科技工士の仕事をやめるにあたって、まったく未練はなかったのだろうか。

「なかったかなぁ……。なんとなくつまらないなと思いはじめていた頃でもあったんですよね。というのも外にも出ないで毎日部屋に閉じこもっている」

──作業はいつもひとり?

「そうです。仕事場は自宅の中の一室ですし。アルバイトを雇ったりしたこともあったんですが、歯医者さんが見たら、これはほかの人が作ったものというのは分かるんですよね。『これ、寺山さんが作ったんじゃないよね』って言われました。クオリティーが違うということなんでしょうね。
 10年やってきた人間が作るものと、学校を出て一年目やそこらの人間が作るものは違う。黙っていてもそういうのは分かるんですよ」

 取り付ける際に、医師が何度も調整しなければいけないものと、スッと収まるもの、違いはそういうところに現われる。それはやりがいでもあった。

「『手が変わる』とよく言うんですけど、いつも仕事を出してくれる先生は、わたしが作るから出してくれるというのもあったんですよね。大手で、何十人もが分業でやるというところだと値段が安い、でも値段に見合った出来になる。ただ、そういうのでもいいという先生であれば、文句も言わずにアルバイトがやったものでもOKなんです」

 中古車の販売に関わりはじめたのは、歯科技工の世界も人件費の安い海外に注文が流れはじめたときだった。車の販売には「バクチ」の要素があった。如何に安く仕入れ、利ザヤを乗せて高く売るか。コツを飲み込むにしたがい、わくわくした。「商売の面白さ」に引き込まれたのだと寺山さんは言う。

「最初は車の修理に関してはもちろん素人だったので、板金や塗装なんかは専門の工場に外注していました。歯科技工もそうですけど、修理の上手いヘタが職人ごとにあって、そのへんの管理をするのがわたしの仕事です」

 盗難車を扱うということでコワイ経験とかは?

「ありましたね。もちろん違法な取引きはしていないんだけれど、そういう盗難車を扱っていると、どこからかアンダーグラウンドな人たちにも情報が流通するんです」

 見知らぬ相手から電話がかかってきて、商談の場所に出かけていくと、見るからに怪しい連中に取り囲まれた。

「そのときはなんとなくヤバそうだなぁというので、頼りになりそうなひとについて来てもらったのがよかった。むこうが言っていたクルマと違っていたし、穏やかに話して逃げました。ほかに詐欺に引っかかったこともあります。わたしもツメが甘かった。事前に印鑑証明とか譲渡証とかぜんぶ調べておけばよかったんだけど……。うちが買ったクルマが盗まれたもので、転売した後にそれがわかった。
 ええ。警察の取調べを受けました。
 うちが売った先にはお金を戻し、買った先からお金を取り戻しに行こうと相手とやりとりをしていたら、やめたほうがいいって。刑事さんに言われました。『そういうので殺されちゃうなんてことは珍しくないから、授業料だと思って、あきらめなさい』そう言うんですよ。
 たしかにそういう雰囲気はありましたよね。電話すると『ウチだって被害者なんだ』と言い張って。もう口調がね、ヤバそうというか。

 ええ。損害は600万円。高い勉強になりましたけど。結果的に、お金を戻した相手の人とはその後も仕事がつながっていったので、損はしたけど、そっちはよかったかなと思っています」

 昔のことですけどね、と寺山さんは淡々とした口調だった。

──詐欺に遭った時期までは一般の中古車を取り扱われていたんですよね。霊柩車ではなく。

「霊柩車を扱うのは、だいぶあとからですね。最初の頃はキャンピングカーでした。車にワンルームの家財道具がごっそり入っているのと同じだから、壊れやすいんです。そうした中古のものをネットで仕入れて、ヤフオクで売る。退職して老後に夫婦で全国を回るとかいうブームがあった頃ですよね」

──どこから霊柩車を扱われるようになっていくんですか。

「14、5年前になるかなぁ。横浜の中古車販売店の駐車場の奥に置かれていた、宮型の霊柩車が目にとまったんです。リンカーンの。『これ、いくら』と聞いたら、30万円だったかな。事故車で、側面にこすったキズ跡があった。それを買って、板金屋さんでキレイにしてもらった。だけど、売り先の見込みがあったわけではなく、どこに売ろう?」

 すでに竜の彫り物などを載せた宮型の霊柩車は見かけなくなっていた頃だという。買いはしたものの思案したそうだ。

「そうしたら大雨があったんですよ。新潟の長岡だったかな、葬儀屋さんの霊柩車も水に浸かってしまったというので、『寺山さんのところ、霊柩車があったよね』と問い合わせが入った。それが霊柩車を扱った一番最初です。でも、そこからまた二台目までに何年かあくんですよね」

 記録をたどると寺山さんが記憶している新潟の大雨は2004年7月だった。

白いワンボックスの中古車を霊柩車仕様に改造。棺を載せるステンレスの装置(「棺台」)を載せる。その際、ストッパーとなる扉の開閉をスムーズにするために切れ込みを入れる。そうした細工が随所。職人の腕の見せ所でもある。


ヤフオクから始まった
霊柩車販売業

「だからわたしは、もともとはクルマ屋じゃなかったんですよね。それに、この業界に入ったときには中古車屋がヤフオクに車を出すというのは恥だと考えられていた」

 寺山さんが現在のライフサポート・エイワを設立したのは2006年。歯科技工士から中古車販売に転業、さらに霊柩車の販売へと進んでゆくきっかけはインターネットのオークションサイトの流行と関係していた。

「十年以上前のことですけど、当時はそんなネットのオークションで中古車を売買するなんて、業界の人たちからは、ちゃんとした商売じゃないって見られていたんですよね。でも、自分はクルマ屋じゃないから、とりあえず売れたらいい。ヤフオクでもなんでも、そういう意味での抵抗はまったくなかった。霊柩車を扱うようになったのも、たまたまです。
 それまで、わたしは修理に関しては素人だから、買った中古車の修理は板金屋さんに外注で頼んでいたんだけど、『霊柩車はちょっと勘弁して』と言われることがありました。でも、自分にはそういうのを毛嫌いするような感覚がなかった。なかったから、霊柩車に特化していったということなんでしょうね」

 霊柩車をヤフーオークションに出品するようになるのは07年からだ。キャディラック、リンカーン、クラウンの霊柩車が次々と売れた。ネットのオークションで霊柩車を販売するのは斬新すぎる出来事だった。

「お客さんも、より安いものを探すんですよ。いま『激安、霊柩車』と検索をかけると一番にヤフオクにつながります。でも、安いといっても一台が何百万円もしますから、お客さんも怖いんで売主の実体を探すんですよね」

 登録されている会社概要から電話番号を探し当てたお客さんから、ヤフオクを見たと問い合わせの電話がかかる。オークションによる落札は稀でサイトは入口というわけだ。

「うちのホームページがなかった頃は、ヤフオクにケータイ番号を載せていました。ヤフオクとしたら、そういう出品の仕方をされるというのはよくなかったんでしょうけど。まだパソコンがウィンドウズ95の頃です。子供にリサイクル屋で買ったものを与えたんだけど、ヤフオクを見るようになって、あれ使うからって取り戻しました。それからもう、あれよ、あれよ、でしたね」

(つづく)
次回が最終回。霊柩車に改造する作業の様子を写真で。

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長文なのに時間をさいてお読みいただき、ありがとう‼
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朝山実

霊柩車工場見学記

どのようにして霊柩車はつくられているのか? 工場を見学してきました。
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