HYOKKI

東京がなぜか好きすぎて、東京を書いたりしてます、韓国の人なのに。 映画、本、音楽、服、…

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東京がなぜか好きすぎて、東京を書いたりしてます、韓国の人なのに。 映画、本、音楽、服、好きで、 雑誌社に入って10年あまり、一人になったら、見えるものがカラッと変わり、 寂しく、懸命に生きてます。今日も、明日も。

マガジン

  • 向こうからの、東京

    東京に出会って20年ほど。なぜか好き過ぎて見たり、喋ったり、書いたりします。韓国の人なのに。相手としての東京、居場所として、僕としての東京。

  • 詩でも何でもないけれど

    どこでも話せない言葉、誰にも言えな話、私しか知らないコト

最近の記事

僕が、僕でいられる勇気

年がすぎた。年末だから、一年の最後の日であるから特別な何かが起こるとは、もう思わない。いつも通り寝坊をして遅めの朝を食べ音楽を掛けながら本を読み、映画を何回もストップしながら見て。。。今の韓国は多分人生1番の寒さで外でのタバコもかなり大変でカイロをポッケっとに入れてアパートの団地の空気を少しだけ吸うこと。それだけの季節は感じる。しかし、365日中、私の人生30年あまりの中、一年の最後という日はなぜ人の心を留めてくるんだろう。相変わらずの2020年の1日が過ぎて行く。相変わらず

    • 夜中、私の部屋に生まれたズレ

      多分、星野源さんのラジオを聞いていた夜、その時からだった。普段のオープニングトークも、スタフの方々とのやり取りの話も、なぜか少し違って聞こえた。昔ラジカセで聞いてた番組みたいに、古い記憶みたいに、いまだに分からないが、アナログのような匂いが私の小さな部屋に流れ出てるような感覚がした。いつも通りベッドに潜り込み、布団に顔を半分ぐらい隠し、寝るつもりで聞いてるのだが、携帯からの小さな音に(一人暮らしではないため、いつも最低限の音量で聞いてる)に耳を傾けると、’今日は自宅で放送をや

      • 濡れた日々の過ごし方

        梅雨がやっと終わった。テレビをつけたら天気予報が今週末を機に今年の梅雨は終わりだと教えてくれた。50日を超えた史上最も長かった梅雨。地面は少しうづつ乾き、ゆっくりだけど光が戻りつつあるが、私には何が起こったのだろう。コロナと共に新年を迎え、なんのとっかかりもないまま過ごしてきた私は、今どこにいるのだろう。また1日が過ぎていく音が聞こえた。 個人的に好きな’ほぼ日’の糸井重里さんは、コロナが始まって6月頭ぐらいに、東京を記録し始めた。突然失った日常が少しずつ戻ってくる様子を中

        • 私ではなく、私のようなものとして一日

          コロナの影響の中、人生初のリモートインタビューを行った。8月号の記事だったから、もはや一ヶ月前。相当怠けなものだとは思うが、家での生活が続くと曜日感覚が失われて行く。インタビューとは言え、相手はZOOMの中、スクリンの向こう。でも、お互い違う場所で喋り合う言葉が、少し暖かく思った。会えない時期なのだが、インタビューはできるん、あまり支障がないことがありがたく思い、少し寂しくも感じた。 そもそも私がしている仕事って、何かを介して行われるもので、結局ある程度の距離を残したまま終

        僕が、僕でいられる勇気

        マガジン

        • 向こうからの、東京
          17本
        • 詩でも何でもないけれど
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        記事

          夜が、またどこか行ってしまう

          毎晩、なぜか忙しい時間を過ごしています。昔からのルーティンで寝る前に次の日のことを考える習慣が付いちゃいましたが、最近はその考えることの幅がとてつもなく広がってあります。出かけることも自由に出来ないのに服のコーデネーションで頭がいっぱいなったり、もしお出かけをするとなれば何を食べようか、行きつけのカフェは何を乗って行こうか、まるでくだらないことだらけでございます。1日中一番元気で、一番生気があって、瑞々しく、なんでも出来そうな夜が、ただただ、私のそばに寄ってくれます。でも、起

          夜が、またどこか行ってしまう

          なにもしない人になっちまった。

          何もしない人は店の行列に代わりに立つ。何もしない人は花火の場所取りに上野公園へ向かう。何もしない人は、入りずらい焼肉食べ放題店でお連れ様になり、何もしない人は人が足りない場合ゲームの人数合わせにもなる。何もしない人は、何でもする。何もしない人、とは。 会社を辞め、家での生活が始まったのもおよそ5年目になりますが、その5年間、日数で数えば2000日ほどの日々を纏める言葉が何一つ思い浮かばないところでございます。前職の続きで雑誌や何らかで原稿を書いたり、翻訳をしたり、3年前は初

          なにもしない人になっちまった。

          寂しさの、お隣さん。

          なぜか少しは早起きができた朝。トースト二枚とコーヒーだけだったが、少しはホッとする時がある。洗い物をし、歯を磨き、外へ出て一ぷく。風はだいぶ収まり、暖かさが遅めの春を知らせてくれる。タバコを吸いながら携帯を見るのはあまり好きではないので、色々くだらないことを考え、そろそろ家へ戻るごろには頭が痛くなるだろう。病院から出て5年目、なぜか今年は頭痛が多い。痛くなりそうで、まだ痛くないようで、今の時代マジで困る。机に座り、先週から始めたエッセイの原稿を割と早めに1枠終えた。まだ未定な

          寂しさの、お隣さん。

          コロナ時代、雑誌が教えてくれたこと

          半年前、多分そのごろ私は10以上のメール送っていた。イラストが一つのライフスタイル向けのショピングになりつつある、いわゆるトレンドを探る記事のためだったのだが、あちこち彷徨ってた先は安西水丸さんの絵、清涼感有り、私にはどこかメランコリーなその絵まで続いた。生まれ持ち人並みなことは大嫌いなせいでもあるが、とにかく最近のバズってることだけで記事を書きたくはなかった。安西さんの絵、そこに込められてるお話を少しでも頂きたかったと思う。スイッチからは随分前に安西さんの絵をプリントしたT

          コロナ時代、雑誌が教えてくれたこと

          志村けんの木、私の白木蓮

          志村けんさんが、お無くになられた。テレビで、多分何回は観てたけど、彼について詳しくはなく、ただ初主演作のはずだった映画が、間も無くクランクインする予定だった。菅田将暉とのダブル主演。山田洋次監督の、松竹100周年記念作品、’キネマの神’。菅田のラジオを聞いてその悲しみを尚更知らされる。私は、映画一本でも、ほんの少しの共通点でも、すぐ感情移入しちゃう人間で、その切なさが、なぜかよくわかる気がする。咲かずに散る花、見つからず消えていく夕日、そして作業は終わったものの、何らかの理由

          志村けんの木、私の白木蓮

          私が、知ってるその寂しさ。

          一昨年、青山ブックセンターの閉店から始まった本屋の話は、なぜか今まで続いている。年号の変わり目だった去年の4月末、東京の職人を探しに旅出た秋ころ、そして今年一月、一番欲しがってた所での面接で訪ねた時まで、私は本屋へ行った。六本木の青山ブックセンターでの思いはそれほど多くもないものの、そのさよならがなぜか私へのメッセージのように聞こえた。下北沢商店街で貼られた’78年間ありがとうございます’という文章が悲しく、切なく、愛おしかった。本屋、カフェ、ホテル、ギャラーリー、空間でのグ

          私が、知ってるその寂しさ。

          彼の、行動する言葉

          去年、夏の終わり。同じ道をなんども回ってしまった。多分、間違ってないはずなのにグーグルのマップが示してくれた工房がそこにはなかった。駅から3分で到着するはずの工房が、10分、20分、伸びる一方であった。道は、珍しく三角形に分かれ、マップでの工房を示す点はどんどん離れて、まさにどうしようどうしよう状態。残暑のせいで汗は流れ、焦っちゃうし、約束の時間は迫ってくるし、とりあえずフェイシャルテイッシューを出して、顔を拭いて、水を飲んで、空は真青だった。そしてなぜか、不思議なことにすぐ

          彼の、行動する言葉

          二番目で高いところで、星が見えた。

          彼のことを見ると、少しごめんと思う。158センチという身長、それにして気丈な体。早いステップ、素早い動き、今はアイスダンスへ転向をした高橋大輔を少し思う出させる彼は、なぜかいつも’ごめん’という気持ちを私に残してくれた。フィギャー界では最近コーチの問題で苦労をした選手らが何人もいて、最近ニュースでやっと気付かされただけれど、彼の演技にそういう悩み、揺れ、絶望のような様子は見えなかった。宇野昌磨、フィギャースケーター、今年デビューして10年。オリンピックや世界選手権、グランプリ

          二番目で高いところで、星が見えた。

          あの日、その腸炎

          たまに、不思議ループみたいのを感じてしまう。会社をやめて、フリーになって、もう5年目になるけど、あいにくその面接日はフリーになってから一番忙しい時だった。空港でゲラの修正をしたり、大崎駅についたら、メッセージが何十個。バタバタ、ばたばた。また、あいにく面接の時間は午後6時で、準備をすればよかったものの、何も手に付かず映画をみたり、新しくなったパルコで少し遊んだり(全然そんな気にはなれなかったけれども)、ラーメンじろうが食べたっ方けど、さすがに面接直前だし。結局ホテルコエに入っ

          あの日、その腸炎

          ダサすぎで、波でが出た。

          10月2日、一つの時間が線路に墜落した。おそらく何100回は通りすぎた場所。歌舞伎町の小道をすり抜けて駅に向かってた私は、また捨てたい自分に会わせられたままであった。長くても5分は超えない列車はまだ来ておらず、イアフォンを着けていたせいで、訳がわからなかった。すでに十数分はすぎた時間と画面に剥製されたままの時間。憂鬱は溢れるほど多いものの、私は自分が持っている憂鬱がだんだん自分のものではないように感じられる。5時を少しだけすぎた時間と、間も無く6時を迎える時間、時間が閉じ込め

          ダサすぎで、波でが出た。

          MADE IN JAPANを、思う

          最近、日本を語ることが、少しややこしいことになってる気がする。不買運動から始め、旅に行くことすら躊躇する動きがある。東京を始め日本のあちらこちらを多分100回ほど行ってた私にとっては、なんとも言えない違和感を覚えてる。不買運動から二ヶ月、日本人シェフの店でハイボールとパスタを食べ、相変わらず好きな日本のミュージシャンの音楽を聞き、この間には奥山大史監督の’僕はイエス様が嫌い’を見た。何が間違いで、何が正しいのかを語るつもりはなく、そういう能力もないと思うが、ある大きな動きの中

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          奇妙な日々、この世との間で

          一度だけ会ったことのある人の猫が死んだ。大学の先輩が飼っていたマルチーズがこの世を去った。捨てられた犬を拾って一緒に暮らしてた前の会社の先輩の犬もこの世から行ってしまった。最近フェイスブックや、ツイッターを見るたび目にすることだ。SNSで、犬と猫が死んでいる。こういうことを偶然と言うのだろうか。ちょうど17年共にしたウチのゴムドルと、先週長い別れを交わした。病院の小さな部屋で、すごく苦しんでる様子を見ると、どうすれば良いのか全くわからない状況で、理性っていうところか、ただバカになってしまった。ごめんとか、ありがとうとか、愛してるよとか、なんの意味持たない言葉をただ言っていた。ゴムドルの気持ちをどうしても分からなくて辛いと思ったが、本当にそうだっただろう。自身がない。ただ、私の気持ちは、ただバカで、なんの役にも立たない。誰かは別れは不在が現実と同じような感覚になる時に終わると言ったが、その時期はそもそもいつだろう。不在をだきしめたい。不在と共にいたい。わがままな僕で、しばらくずっといたいと思う。時が流れ、いつかは忘れると言うのだろうが、今の私にはまだまだ、永遠に遠い話で、ただゴムドルとの時間が愛しいだけで、今日も少し涙が出てしまった。夜は涙が溢れる季節であると、ちょっとバカみたいに思う。

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