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頭の中のパズルを組み立てる日々。

インプットとアウトプットの大切さは、色々なところで語られていると思います。

私がイメージするのは、パズルのピース。

インプットした情報は、組み立てられ形になっていき、出来上がったものがアウトプットとして出ていく感じ。

ここ数年、このインプットとアプトプットについて考えることが多かったので、ちょっと書き出してみようと思います。

思考を先へ進めるために。

何はともあれ、事はインプットから始まると思っています。突発的にゼロから何かが生まれてくる人もいるかもしれませんが、残念ながら私は違いました・・・。

何かしらの「きっかけ」があるからこそ新しい思考やアイディアが生まれてくるのではないかなと考え、自分なりの答えを得るために本を読んだり、勉強したり、知見のある方と話をしたりしたと思います。

土台構築という意味では、情報収集はとっても重要なこと。でも、その先に行くには、アウトプットも必要になってくると思っています。

ここでふと思い出したのが、大学入試の勉強をしている時の失敗談。

入試の過去問をひたすら解いていたけど、たぶんただ解けるようになるだけじゃダメなんですよね。

同じ問題なら解ける

けど、

同じ数式を使えば解ける問題は、答えることができない

みたいな。

得た情報を得たままの状態で保つより、その情報の汎用性や可能性に視点を向けられると、頭の中が少し先に進むような感じがありました。

プロィールにも書いてありますが、私はご縁あって何度か転職をしています。結果、その経験値を活かすということは、私ができる私なりのアウトプットになると思っています。

インプットした情報を自分事化する。

初めは、得た情報を適材適所で話せるようになるだけでも十分かもしれません。その次に、自分事化することがとっても大切だなと。

「ただ知っているだけの情報」と「その情報を活用しようと考えている」では、差が出てくるような気がしませんか?

そして、後者のような思考でそこに自分なりの解釈や体験を加えることができれば、それはまさに自分なりのオリジナリティあるアウトプットになっていきます。

私はブログを書くので例が偏ってしまいますが、ブログやその他SNSで発信を例に。どれもアウトプットの1つの形なんですが、その内容に体験が伴っているか否かは読んでいてわかりますよね?

情報にはリアルタイム性が重視されるものもあれば、知識として蓄えておくことに意味があるものもあるので、発信者の体験が伴っていなくても事実として拡散される情報は山ほどあります。

(発信する人によって伝わり方が変わる、という話はまた別でまとめようと思います。)

その時に、良い悪いという話ではなくアウトプットの形が変わってくるところを見て欲しいなと。

例えば「あそこの蕎麦屋は美味しいんだよ!」というインプットは、私にとって「美味しいらしい!」というところまでしかアウトプットすることができません。

でも、自分で実際に食べに行けば「あそこの蕎麦屋は、美味しかった!」と言うことができます。さらに「実は、セットのカレー丼も最高」という実体験も加えられるかも。もちろん、実際に行かなくても追加情報を調べることでアウトプットに厚みを出すこともできます。

インプットした情報を自分事化したり、自分なりの過去の体験(過去にインプットした情報でもいい)と合わせていくことで、どんどんパズルのピースが組み合わさり1つの形になっていくイメージ。

これが、自分なりのアウトプットになっていくはずです。

ちなみに、今回の例でいえば、自分事化するために行動を起こしたことで「美味しかった!」という事実を確認するとともに「カレー丼も最高だった!」という新しい情報も得ることができました。

行動って重要ですね。

組み合わさるピースは無数にあり、正解は1つではない。

市販のパズルなら隣にくっつくピースは決められていますが、頭の中ではそんなことはありません。

バラバラだった4つのピースが、全く別のところから現れた1つのピースで繋がることだってあるわけなんです。

だから、インプットとアウトプットを繰り返すわけなんですよ、私は。

答えを求めがちだったころは強引にでもピースを組み立てていたような気がしますが、一回落ち着いて周りを見わたしてみると「あれ?これくっつくんじゃね?」みたいなことも。

考え悩み苦悩することも多々ありますが、そういう時こそ一歩引いてみたり、あえて少しカテゴリの違うピースを探してみたりするようにしています。

ま、今回のようにnoteに書き出すこと自体もアウトプットですし、勉強すべきポイントの洗い出しにちょうど良いです。

文才のなさ、言いたいことが散らかる、例が悪い、etc...

でも、まずはそれでいいかなと思ったので、これからもnoteに書き出して行こうかなと思います。

会話をすることが成長への近道。(たぶん)

どれだけ参考書を読み込んでも、どれだけ自己啓発本を読み込んでも、読んでいるだけでは何も変わらないと思ってます。

私は、コミュニケーションをとるのが苦手だったので自ら会話をしようと積極的に動いたのは意外と最近の話だったりします。結果、陥ったのが自己満の世界。

まわりの人と会話をするようになってから、ものすごく目の前が開けたような気がします。

自分一人で考えていてもアウトプットしないと間違っていたかどうかもわからないし、相手がそれについてどう思ったのかはさらなるインプットになります。会話がどれだけ大切かものすごく実感した時のことをよく覚えています。

「情報交換しませんか?」みたいなケースは、社会人になると多々遭遇すると思います。知識レベルに差があると相手に申し訳ないなと思いますが、そこは自分のためにも1歩踏み出すことをお勧めします。(自戒)

まとめ

インプットしたら、自分なりにアウトプットしてみる。

その勉強のために、いま私はnoteを書いています。

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