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【映画】現代日本映画のメインストリーム

近年、多くの日本映画が海外の国際映画祭に出品され、高い評価を受けています。青山真治、黒沢清、万田邦敏は、国内外から高い評価を受ける、現代日本映画を語るのに欠かせない監督陣です。

このnoteでは、青山真治監督『Helpless』、黒沢清監督『CURE』、万田邦敏監督『接吻』を比較分析し、現代日本映画の共通点について論じていきたいと思います。

1. 映画監督

 ① 経歴

まずは青山真治、黒沢清、万田邦敏の3人の映画監督の経歴について見ていきたいと思います。

青山真治は、 1964 年生まれの福岡県北九州市出身です。 1995 年には V シネマ『教科書にないッ!』で監督デビューを果たしました。 そして翌年1996年に、初の劇場用長編映画『Helpless』を手掛けました。

次に黒沢清ですが、 彼は1955年生まれの兵庫県神戸市出身です。大学時代、8ミリ映画『しがらみ学園』が第4回ぴあフィルムフェスティバルに入選しました。 そして、 ピンク映画『神田川淫乱戦争』で1983年に映画デビューを果たします 。 また 、1997年の『CURE』によって国際的なブレイクを成し遂げたのです。

続いて万田邦敏は、1956年生まれの東京都出身です。 大学在学中、黒沢清らと映画サークルで8ミリ映画を製作します。そして雑誌での映画批評の執筆 、 PRビデオやテレビドラマの演出を経て、 1996年 、『 宇宙貨物船レムナント6』で劇場映画監督デビューを果たしたました。その後も映画監督としてのキャリアを積み、 2009 年、『接吻』が第23回高崎映画祭最優秀作品賞を受賞しました。

 ② 3人の共通点

このように彼らは出身こそ違いますが、それぞれ50~60代の映画監督であり、また青山はVシネマから、 黒沢もピンク映画からデビューを果たすなど、最初の監督作品は現在評価を受けている作品と種類の違うものであったことがわかります。

万田も同じく、映画監督としてのデビューを果たすまで、執筆活動や演出家として活動しており、最初から現在のような作品を手掛けていたわけではない、という点で共通していると言えます。

しかしながら彼らの最たる共通点は、3人とも立教大学の出身であり、自主映画製作サークル「パロディアス・ユニティ」に所属していたことです。

「パロディアス・ユニティ」は、 立教大学の映画制作サークルである立教 SPP(セント・ポールズ・プロダクション)のメンバーであった黒沢清や万田邦敏らによってSPPから分離独立的に発足し、黒沢清の卒業後も後輩の塩田明彦らに引き継がれ、青山真治等の代まで活動が継続したサークルです。

「パロディアス・ユニティ」で作られた映画作品では、先述した『しがらみ学園』のほかにも、黒沢清『School Days』や、万田邦敏『SCHOOL SOUNDS 』のゴダール張りの演出・構成が話題を呼びました。

また、同大学で彼らは蓮實重彦氏の「映画評言論」という講義を受講しており、その影響も彼らの作る映画作品に反映していると言えます。

2. 映画作品

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