「ロンバケ」私史

大滝詠一「ロングバケーション」はYMOの「BGM」と同日の’81年3月21日発売でした。

当時私は「BGM」を発売日に新潟市のそこそこ大きいレコード店で買っているがその時「ロンバケ」が派手に宣伝されていた記憶は全く無い。その時点でYMOのレコードは全て揃えていて細野晴臣つながりではっぴいえんども聴き始めていたので「大滝詠一」の名前を見たらそれなりに反応したはずなのだが。

’81年3月時点では細野晴臣はYMOの大ブームで松本隆も歌謡曲の作詞家として確固たる地位を築いており、鈴木茂も歌謡曲のアレンジャーとしてクレジットを見かける存在となっていたので大滝詠一は「はっぴいえんど」のメンバーの中では一般的には最も知名度の低い存在といえるほどだったといえる。

弟子筋の山下達郎やシャネルズまで「ライドオンタイム」「ランナウェイ」で大ブレークしており、自分がそんな時期に大滝詠一を認識してなかったのも当時の音楽リスナーとしては特殊ではなかったとは思う。

大滝詠一が「ロンバケ」を「遺作」のつもりで作ったというのはこうした同期や後輩の活躍を目にしてこれが売れなかったら裏方に回るどころか引退までするつもりで背水の陣で臨んだであろう作品だったというのは後世の人に知ってもらいたいですね。

はっぴいえんどを初めて聴いたのは’81年初頭にNHK-FM「サウンドストリート」で「はいからはくち」が2日連続でがかかったのを聴いたのがきっかけで、何故かと後で調べたら’80年末にSMSレコードURCレコード赤帯2000円再発シリーズではっぴいえんどの2枚が出たばかりの時期だった。

音楽自体ももちろん細野氏の参加してたバンドということで興味を持ち、最初に入手したのがベルウッドのベスト盤「CITY」で、ちょうどこの時期ベルウッドレコードも1500円の緑帯で限定再発されてたんですね。

中学生に1500円や2000円は懐にやさしい値段だったので続けてURCの2枚、ベルウッドの「シングルス」と細野氏のソロ「HOSONO HOUSE」も買ったのだが、ベルウッドの1stソロ「大瀧詠一」は買ってなくてこの時点ではまだYMO脳だったんだろう。

結局「ロンバケ」を認知するのは世間で話題になりはじめる6月頃で、ああはっぴいえんどで歌ってる人のレコードか!ということで貸レコード屋で借りて聴いて、その後に貸レコード屋に無かったベルウッドの1stを先に買うことになる。

その頃には1500円シリーズは売り切れてて2500円で出し直されてたのが出てこちらを仕方なく買ったのだがこれはオリジナルのレーベルとブックレットが復刻されていたので結果的にラッキーだった。

私は’67年生まれだが子供の頃家にあったプレスリーやビートルズ、ピーター&ゴードンとかの洋楽シングル盤を聴いてビートルズ好きになり、カーペンターズの「ナウアンドゼン」を親戚の家で聴いていた。

「アメリカングラフィティ」をきっかけに始まったオールディーズの再評価を受けて’70年代後半にNHKFMの夕方に放送された「軽音楽をあなたに」のオールディーズ特集をエアチェックして聴いて同時期に廉価版で続々リリースされていた’60~’70年代のロック名盤をせっせと買っていた。

そんな感じで自分なりにロックの歴史をたどっていた音楽史を全て内包していた大滝詠一の音楽がバッチリはまったのだろう。

結局同年11月にリリースされたYMO「テクノデリック」は買わずに貸レコードで済ませ、翌’82年正月のお年玉をつぎ込んで2万円の「NAIAGARA VOX」を買い、付属の「ALL ABOUT NIAGARA」を読んでラジオの「ゴーゴーナイアガラ」を聴くことになり、私は細野派から大滝派に宗旨変えしたのでした(笑)。


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