こどものじぶんをつかまえる

「どうして私を放っておくの、辛いのに、しんどいのに」って大泣きしている子供の自分をつかまえたことがありますか。わたしはある。

いつ殺したかは記憶にある。おそらく小学2年生の時に「たらこくちびるー」って言われて男子にいじめられて、「そうかわたしはお洒落とか似合わないブスなんだ」とか色々思ったり?アレな担任に当たっていじめられたりした時に殺しちゃったんだと思います。
お洒落は自分にはふさわしくないもので、女の子らしいキラキラした華やかなものは自分とは無縁なんだと信じてそのまま大人になりました。これでも幼稚園の頃とかはフリフリの服を来て心躍らせてキャッキャしてたときもあるんだぜー。
大人になってスカートを私服で着たのは旦那とデートする時、つまりアラサー超えてからになりましたので、これ、本当に根が深かったよね。

一回殺しちゃった自分に再会したのは29の時。会社辞めて私生活でトラブルに巻き込まれてボロボロになった時に、殺したはずの8歳の自分がいきなり大泣きしながら今の私の胸の中に飛び込んできた。

めちゃめちゃびっくりしました。お前20年以上もどこに居たの、って思った。

飛び込んできたのはいいのだけど、なにしろ21年も迷子になっていたものだから、29歳以降の私と同化したなーって思うのに年単位の時間がかかりました。
あ、今は完全に同化しちゃってます。

色々調べたら、自我、とかいうものらしい、これ。

こやつの捕まえ方、って、私の場合はあんまり参考になんないんですが(まずブラック企業に行ってボロボロになって、トラブルに巻き込まれましょう…とか他の人には勧められないし、そこまでしなくても捕まえられると思う多分)、「自分をないがしろにされたら自分のために心の底から怒っていいんだ、私は怒ってるんだ」って自覚したタイミングではあったと思います。

捕まえて同化した後はどうなったかっていうと、他人に依存することがなくなりました。

や、まあ全然依存しないって訳ではないんですが(家族と旦那には常識の範囲内で依存してると思う)、「他人はどう思うかしらないけど自分は自分。知ったこっちゃねえ」っていうのと「他人の幸福と自分の幸福は等価である。他人の幸福のために自分の幸福を犠牲にする必要はない。そして、自分の味方は自分である以上、自分の幸福が侵害されて、譲歩がもうできないと感じたら、それはもうすっぱり撥ね付けてしまっていい」というのが徹底できるようになったかな。
あと、「他人に嫌われるのが怖い」っていうのもなくなった。「他人の感情は自分にコントロールできるものではないのだから、好かれようと無理をしたって8割がた無駄だし気にする必要もない。他人の好悪は私が決める私の価値に何ら影響をおよぼすものではないし、自分の大事な人が自分を大事にしてくれればそれで十分」って思うようになりました。なので私を大事にしてくれない人や場所は大事にしなくなったし、大事にしてくれない人にかける労力はここまで、という見切りをつけるのも早くなりました。
元々孤独があんまり応えない質ではあるのですが、それに拍車がかかった感じ。で、それでもいいやと開き直れるようになりました。
「友達が多い方がいい」っていうのは世間一般の常識であって、人付き合いが疲れる私みたいなタイプは、数が少なくても気の合う人を大事にしていればいいのですよ。
1周回って8歳の頃のメンタルに戻ったような感じ。
32年分の経験を踏まえた上で、メンタルは8歳。こんくらいがいいバランスなのかなと思います。

あーあと、恋愛なー。
私の場合、自分を捕まえないと恋愛には踏み出せなかっただろうなと思います。

両思いになったのもおつきあいしたのも旦那が初めてなんですが、私は旦那を理解しようとする努力ははなっから放棄してます。というか、理系畑に居て「私には絶対に理解できない分野を持っている」から、あれこれ分析とかしないでいいので気が楽だから好きっていうのもある。理解できねえから必要なところは聞くし話すのであって。必要ないところはほっときます。放置。

ただ、見ていて分かるところは声をかけたりはします。
旦那だけなのか男性全般がそうなのかは知りませんが、彼、自分自身の感情を自覚するのが下手くそなんですよ。会社であった話を聞いて、私が「それは旦那を馬鹿にしている」とぷんぷん怒り出すと、「そうか、これは怒っていいことなのか。というかもしかして俺は怒っているのか、だからもやもやしているのか」という感じで自分の感情を理解していくみたいなんですよね、旦那。
「自分の状況を私経由で客観的に理解→同時に自分の中の感情を自覚する→感情を出す→発散する」ってプロセス。ややこしいんですけど、そういうふうにしないと感情を自覚できないみたいで。
感情を自覚しないままでいる、って便利そうに見えて結構厄介で、ずーっとそれを続けていると、心が硬直して疲弊していくんですよね。感情を自覚するっていうのは大事です。あることを自覚しなきゃ、発散も出来ないですし対策を打って昇華することもできないですからね。
でもまあ、彼が私をとても必要としている部分、ってその辺くらいじゃないかなあ。

自分の存在意義を自分の中で芯として持ったら、軸が安定した感じはあります。段違いに生きやすくはなりました。
これ多分、他人に埋めてもらうものではない…と思うんですよね。他人に埋めてもらう事はできない部分だと思います。ひょっとすると子供の時は両親とかに埋めてもらっていたのかもしれないけど、おとなになったら多分自力で埋めないといけないものなんだと思います。
そこを旦那に埋めてもらっているっていう感覚はない。他人に埋めてもらっても仮初のものになってしまって、安定しない、と思うんですよね。子供とかが居るとまた違うのかもしれませんけど。

じゃあ旦那は私にとって何なのかっていうと、「私の幸福の中に彼の幸福が絶対条件として含まれてしまった人」っていうのが一番近いかなあ。恋愛飛び越して家族枠に入ってきちゃった感じなんですよね。
だから下手をすると、彼がどこか私の知らないところで違う女性を好きになって浮気をされてしまうことより、会社で辛い目にあって一人で凹んでそのまま潰れてしまうことのほうが私にとっては重大な問題になるのかもしれません。
浮気をされたり他の女の人に気持ちが移ってしまっても、多分私はとても傷つくだろうけど立ち直れる、と思える程度には自分を信用している、っていうのもあるかなー。
家族以外の他人を好きになれて、自分のプライベート空間に男性が居ても全く気にならないっていう事自体が私にとっては青天の霹靂だったので、その経験をくれただけでも充分だと思っているのもあるかもしんない。


※2016年12月8日にショートノートに投稿した記事です。

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みたらし

エッセイ的なもの

コメント2件

ああ、このエピソードとてもとても好きなんです。読んでいて私自身の子供の頃を思い出しました。
へなちょこさん
ありがとうございます。似たような経験をしたよってお便りをいただいて、こういう経験してる人私だけじゃなかったんだなあと感慨深くなったノートです。
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