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神社で体験した不思議な話

私の実家は山の麓にあります。その山の中腹には、地元の人達から慕われていて、宮司さんご一家が常に丁寧に管理をされている、一つの神社があります。決して小さくはないけどそんなに大きい神社でもないです。知ってるのは地元の人だけで、観光客とかはまず来ない、そういう規模のところ。

実家に帰ってきてから、うっかりアレな企業に転職しちゃって逃げる→さらに転職したらまたその企業がアレ…みたいなことが続いてから、私はそこに月1回くらいのペースで通うようになりました。

厄除け…とかを願っていたわけではありません。山の中腹にあったので、気分転換とダイエットを兼ねて軽くお散歩をするのにちょうど良かったというのが大きな理由です。
山の中腹まで登ってきて、神社に立ち寄ってお参りをして、小さなベンチでお水を飲みながら一息つく。しばらく木陰で休憩させていただいたら、家までまたのんびり帰る。
休みの日にそうすると、消耗した何かがゆっくり回復するような気がして、特にご利益等は期待せずにお参りをしていました。
途中から、どこかで聞きかじった「日本の神様は日本酒が好きだ」という話を思い出して、お参りするときは小さい瓶に入った日本酒を持参するようになりました。カップ酒じゃない、一番ちっさい瓶のやつ。
エネルギーをチャージさせていただいているのだから、お礼代わりにーって感覚で。

自分至上最悪にアレな会社を辞めて、3日寝込んだ後の話です。あまりにも疲れ切っていたので、綺麗な場所でエネルギー的なものを分けていただきたい…となって、ふらふらしながら山にのぼってお参りに行ったんですよ。
その会社に居た時に神社でいただいたお守りが綺麗に真っ二つに割れたりとか、厄除けの効果があるって言われてた鈴のお守り持って行ったら、アレな人が反応してお守りを嫌がったりとか、「色々忠告して守ってくださったのかしらー…」みたいなことがあったのもあって。

無事にその会社から逃げられたので、その時は確かちょっといいお酒も持って行ったような記憶がある。

いつもどおりにお参りをしたあとで、「あの会社との縁も無事に切れたし、お守りも新しいのをいただこう…」と思いまして。「今まで守っていただいてありがとうございました~」と鈴のお守りをお返しして、新しい鈴のお守りをいただいた後で、神社の社務所にあるおみくじに気がついた。機械?みたいなもので出てくるものじゃない、筒を振ったら番号が書かれた棒が出てきて、該当する番号のおみくじを手渡ししてもらうやつ。
たまたま、手の中にあるお釣りがぴったり引ける額だったので、何気なく「コレもお願いします」って言って、引いてみたんですよ。

で、社務所の方から手渡されたおみくじに書いてあったのが
「これからは運気が絶好調になる。いい仕事にも恵まれる」
という旨のことでした。

それまでのおみくじって初詣で引くだけのイベント的なもので、文章の内容とか結んだ瞬間に忘れてるって感じのものだったんですけど、何故かその時はその文字だけがぱっと目に飛び込んできたんですね。
不眠になっててフラッフラのボロボロの頭で「そうだったらいいんだけどなー…」と思いながらおみくじを眺めていると、社務所でおみくじを渡してくださった方が外にでてきて、そのまま本殿の方向に歩いて行かれました。どういうわけだか顔は全く覚えていないのですが、浅葱色の袴がとても綺麗に見えたことを覚えています。
砂利道を歩いて去って行かれるその音を聞いてるうちに、ふと「もう大丈夫かもしれない」という考えになりまして。すっと肩の力が抜けた気がしたんですね。

でその後、いろんな人の力を借りて、次の仕事以降の仕事は、まあまあまともなところに決めることができるようになりました。不思議だったのは、その後も、おみくじを引くと、アドバイスのような文面が出てくることが多くなったこと。
資格の勉強をサボってる時は「勉強しなさい」と書かれたおみくじが出てきたり、家族と喧嘩してきーっとなって家を飛び出した時には「家族と仲良くしなさい」という文面のものが出てきたり…。素直に家に帰って「おみくじで怒られた」と話したら、家族に笑われて仲直り出来たのもいい思い出です。あの時はありがとうございました…。
お正月に「勉強しなさい」という事が書かれたおみくじを頂いた時に、そこに「恋愛運絶好調。いい御縁があって縁談にも恵まれる」とも書かれていたんですが、「ははははコレはさすがに私には全く関係ないなー」と思ってたらその年にまさかのアレコレがあって今旦那氏がそこでグーグー寝ています。

なんか見守っていただいているようだし…と思ったこともあり、お酒持ってお参り、は実家に居た間はその後も継続する習慣になったのでした。

不思議というか、…うーん、不思議…ふし、ぎ…? 改めて書くとあんまりふしぎでもないような…。自分的には不思議体験のつもりなんですが…。

自分の運勢というのは基本的には自分と周囲の力を借りながら切り開くもので、神様におすがりしてどうこうしてもらうものではないと思っています。
職場をまともなところに決められるようになったのも、自分に経験値がそれなりにたまったのと、アレな状況に立たされた時の立ち回り方と逃げ方をある程度覚えたことが大きい。
ついでに考え方が、それまでは「人間は基本善意の生き物で、信頼に足りる存在だ」と無条件に信じていたのが、アレな人が喰い合いをしている現場を見て「人間は弱くてもろくて揺らぐ時もあるけれど、基本的には善意の生き物だと思っていた方が生きやすい。他人のためではなく自分自身のためにそう思っていたほうが良い。『自分以外の人間はすべて悪人で、他人は蹴落とすか利用するだけの存在だ』と考えている集団での暮らしは地獄以外の何物でもないし。ただし、『他人の善意を信じることができる』というのは『教育がきちんとされている集団の中で、それぞれの生存が脅かされていなくて、集団の構成員全員が経済的、精神的にある程度充足していて、他人に手を差し伸べる余裕が大半の人にある』という状況下で初めて成立するものである。そういう環境に行ける能力は自分の努力で身につけなくてはいけないし、自分が不当に扱われるようなら自分がまず自分を守らないくてはいけない」という風に変わった(長い)っていうのがどう考えても一番でかい。これは別におみくじを頂いたおかげではない。

だけどあそこで、「ああ、これにはある程度区切りがついたんだな」とほっとすることができたのは本当で、そういう区切りはあの時の私には必要だった、と思ってます。

ああいう場所は「自分の力で頑張りはするけど、見守っていただいているから大丈夫だ、と思いたい」とか、「コンディションを整えさせていただくのに、エネルギーを分けていただく」、という感覚で行く感じですね。元々そんな感じでしたが、そんなことがあってからは、特にそう思うようになりました。

神社に行く時に気をつけているのは、月に一度のお客さんが来ているときはおうかがいしない、お祭りがあるときなどをのぞいて、夕方以降は神社にお参りしない、鳥居をくぐるときは端っこを通る、手水舎で必ず手と口とを洗う、 行く時にはラフすぎない服装で行く…くらいの、普通のことですね。

霊感はないですが、そんなこんなで不思議なものの存在は身近に感じたことがあるので、うん。
霊感なくたって危ないものには近寄らないし(怪談もやたらと読んだりはしない)、マナーは守るものだ、と思ってます。

んーなんか、そんな感じです。
近所にそういう神社がある方は、日常的にお参りをされるのもおすすめですよ、という話のつもり。


※2016年7月31日にショートノートに投稿した記事の再録です(「不思議…かな?」改題。)

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