鍵束をあなたに。

学校教育っていうのはつまるところ、子供に鍵束を持たせてあげること、だと思っています。

鍵が役に立つのは扉を開く時です。
その扉がどこにあるのか、いつ出会うのか、っていうのは個人差があります。
社会に出る時だったり、社会に出て転職する時だったり、結婚する時だったり出産するときだったりするかもしれない。
まーでも、学生時代に扉に出会う人より、社会に出てから扉に出会う人が多いのは確かです。
扉自体がそもそも、何枚もあるものだしね。

ただ、扉と出会った時に鍵持ってないと、開くはずの扉が開かずに、新しい世界に踏み出せない場合がある。だから学校の勉強っていうのは大事なんですね。
どれが役に立つのかはわからないけど、扉と出会った時に鍵がないばっかりに新しい世界に行けない事態は防がないといけない。
だから人類の叡智を18年なり22年なり24年なりに圧縮した「鍵束」を子供に持たせてあげるわけです。

ミクロ視点なら教育の目的はこうです。

マクロ視点で教育をすることの意義っていうのは、国民全員に選挙権があること=国民一人一人に国や自治体の行く末を決める権利があること、っていうのに密接して来ると思ってます。

自分たちが選挙で選んだ政治家がちゃんと仕事してるかどうかを判断するのには教養が必要なんですよ。

選挙で選ばれた代表者が国のためになる仕事をしてるかどうかを見るには知識がいります。
『「税金の無駄遣いを減らして支出を減らします!」っていう政策をよりによって 不 況 の時にやらかすのはアホなことこの上ない。政治家が国家の金の流れを家庭の財布と同様に語るのはバカのすることだ』
っていうことは、義務教育を受けてれば成人してる国民が全員わかってしかるべきなんですね。
…今現在国民全員が実際に分かってるかどうかは置いといて。義務教育受けてればそのへんは分かるようにカリキュラムが組まれてる、はず…多分。

あ、上のあれこれを一応説明しておくと、デフレのときは民間に流れる金の総量が減ります。
民間に流れる金の総量が減った時にどこが倒れるかっていうとまず中小企業零細企業が倒れます。大企業は内部留保がありますし、本当にやばくなってくると自分の生き残りのためにまず下請けの中小にダンピングをかけます。倒れるのはまず弱いところなんですよ。そこで公共事業の発注まで止まったらどこが倒れるか。さらに中小が倒れます。で、たとえ中小企業っつったって、そこには抱えられている従業員が数十人〜数百人単位でいるわけですよ。その人達には抱える家族が数人はいます。
そういう人たちがクビを切られたり会社が倒産して失業したりして、市場にお金が流れなくなったら?
もしくはそこまでいかなくても、給料カットされて収入が減ったら?

飲食業と小売に金が流れてこなくなります。

連鎖でこれらの企業も逝きます。
もしくは飲食や小売も安売りをせざるを得なくなります。
安売りするために削りやすいのはどの費用か?

一番削りやすいのって人件費なんですね。

かくしてアルバイトに乱を起こされた「すき家」や「金じゃなくてやりがいが給料です」って堂々とのたまう「ワタミ」が幅をきかせる世の中になるわけです。

…っていうところまで踏まえて、自分たちが選んだ政治家がちゃんと仕事してるか、っていうのをジャッジするのにも、知識っているんですよ。

民間に活力がある好景気の時に歳出のムダをカットするのはOKなんですけどね。不景気の時にそっちの方向に政策を打っていくのは物知らずのすることです。
成人してる国民全員に選挙権がある以上は、「不景気の時にそういうことを言い出す政治家はまずい」っていうのを国民全員が分かる程度の頭は持ってないといけないんですね。
逆に言うと、国は国民全員の頭を『そのくらいのことは理解できる程度のレベルに引き上げる』義務があるんですよ。義務教育はそのために「も」あるものなんです。

国家の財布は循環するものであって、「歳入減ってるから無駄を減らして節約します☆」っていうのをやったらいかんのですよ。お金は国家という生き物に流れる血液と同じなので、適度に循環させないといけない。もちろん借金のしすぎもそれはそれで問題ですけど、そのへんは好景気に戻ってからまた改めて施策を打てばいい。

ただおそらく、家庭の財布しか握ったことがない専業主婦の皆様が学校で勉強したことがないと、『自分の家庭の財布の感覚』を国家にそのまま当てはめてしまう危険が高い。収入減ってるなら支出を減らすのは道理よね、っていって、そういうこと言ってる政治家に投票して、そういう人が国会に行ってしまうとどうなるか。…数年前に体験しましたよね。

義務教育っていうのは、そういう事態が起こることを防ぐためにもあるものだ、と思ってます。

あ、ちなみにこの辺の切り口は、私が地方のちっちぇえ店で店長やってて、つぶしあいに参加する羽目になり「一般庶民の皆様のお財布の紐のゆるさ」に常に気を配らないといけないようになっちゃったから開いた扉です。

鍵の名前は「社会科」「政治・経済」っていいます。

勉強してたときは、まさかこの辺の知識で市場の先を読んで店の施策を立てていかなくなることになるとは夢にも思ってませんでした。社会科も嫌いじゃありませんでしたけど、特に好きな科目でもありませんでしたし。

建築関係の人は「数学」とかの扉を使って社会を見るかもしれないし、看護婦さんとかはまた別の切り口の扉を開いていると思います。まー、どの切り口でもいいのですよ。

要は「他人の言うことを鵜呑みにせずに、自分の頭で考えて、自分の意志で自己決定をして生きていく」ことができればね。

ということで、高校・大学はともかく、小中学校での教育は別に詰め込み型でかまわないと思ってます。
義務教育受けた上で「興味がある分野に生きたい」とか「これ以上勉強はいいから実務の方に行きたい」って思う子は工業高校なり商業高校なりに行けばいいし、そうでない子は普通科高校に行って大学行けばいいのですよ。

ゆとり教育世代は災難だったねと思いますけど、育っちゃったもんはしょうがないですし、彼らの教育を今更やり直しする訳にはいきません。
そのツケはどこで払うか?
ゆとり教育をすることを許容しちゃった先輩世代がツケを背負って、ゆとり世代の皆さまを社会で育てるしかないと思ってます。
までも多分、ゆとり世代の義務教育でもちゃんと受けてればこのくらいのことはわかると思うけどなあ。あとゆとり世代以降にはネットがあるしね。これがあるのとないのとでは手元に集まってくる情報量がそもそも違いますからなー。ゆとり以前の世代と比べて劣等感もつ必要はあんまりないんじゃねって思う。

個人的には学校で習った三権分立とか選挙権とかの意味が、社会に出てから実社会と頭の中で結びついていく感覚はとてもおもしろかったです。
あ、これのために勉強してたんだ、ってのが実感としてわかった感じ。
やっぱり、体系が先に頭に入ってるのと入ってないのとでは社会っていう巨大な生き物に対する理解速度が違ったと思うんですよねー。
そういう意味では、子供の頃に「こんなん覚えて社会で何の役に立つんだよ!!」って絶叫しながら試験勉強することは大事だったなと思います。

あとまー学校教育っていうのは大事なことではあると思いますけど、教育って今動いている現実の社会が補完して初めて完成するもの(完成することないかもしれない性質のものなのかもしれないけど)なので、学校教育に関わってる皆様が「子供のために、子供にとって最善を!!!」って「こどもの教育を100%学校で完成させなくちゃ!」って意気込む必要も別にないんじゃないのと思ってます。

この辺を明治時代に言い切ってた福沢諭吉はすごいよなー。
っていうことで、私は新社会人の皆様におすすめする1冊は「学問のすすめ」ですね、うん。今読んでも読みやすいし。

あそうそう、選挙の時に色々つぶやいてた新社会人や学生の皆様、あれ以降、政治家の動きにちょっと注意を払ってニュースを見てますか?
選挙前に施策を打ち出してくる政治家から選ぶより、選挙以外の期間に政治家が何をしているかを見て、次の選挙で誰を選ぶかを決めるほうが楽ですよ。というか政治家候補が「実現可能なラインの、現実的な」施策を打ち出して来ているかを見るのには選挙期間外の動きを大まかでいいので把握しとかないといけません。選んだ政治家が「すみません実際に権力握ったら無い袖振れなくて施策実現できませんでしたてへぺろ☆」って言ったら選んだ意味全くないですからね。

選挙って本来そういうものです。


※2016年9月25日にショートノートに投稿した記事です。

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