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卒園→入所→入学。

自分が幼稚園児だった頃の記憶なんてほとんどないが、我がこどもは六年間の保育園生活、そして今現在しか時間は蓄積されていない。
六歳の頃など遥か彼方の薄い記憶しかない私と違って、今が彼の一大事である。
彼の記憶が将来どうなるのかは不明だが、やはり初めての別れというのは最大のダメージになりそうだなと予想する。

私の後悔は、二人の子が通う場所を家の近くの保育園にしなかったことである。

日本に「保育園が足りない」と言われている中で、我が町はかなり子育てに力を入れていた。
そんな時期と重なって保育園がどんどん建築されていく。
選び放題だ。
(希望を五箇所以上書いてと言われていた)
そして私が優先したのは、仕事場から近い場所である。
仕事が終わる(終わらないが無理矢理帰る)と5分ダッシュで行ける場所にしたのだ。
(会社の保育園は庭がなくスタッフも少なくパンクで日中預けるつもりはさらさら無かった)
そして19時最終に滑り込んで一人になった娘を迎えに行っていた。
(可哀想すぎる)
夜勤もしていて、会社の保育園に預けて朝また保育園、と夜勤を共にした娘は、一年も経たずに目の下を真っ黒にした。
(隈が出来た。一歳の子が。可哀想すぎた)
その会社は夜勤をやらないと待遇が悪くなるので、転職してその先で息子を産んでまったり働いていたが、保育園からは遠くなった。
しかし定時退社が当たり前だったので延長保育はなし。
(逆方向で朝凄く早く出社になるという)

娘も息子も同じ保育園だが、色々な体験をして優しい先生に囲まれて凄く楽しそうであった。
娘なんて保育園に戻りたいと未だに言うことがある。
ちなみに娘は現在、小学校大嫌いで行きしぶり児である。
(毎朝、学校まで送っている)

娘は割とあっさりタイプで我関せずだが、息子は友達100人出来るかなタイプである。
が、私が交流しないせいで友達とは縁が切れるだろう。

それに重ねて遠い保育園にしたせいで、同じ小学校の子がいない。

失敗したな、と。
保育園を決める時に全く頭に無かった。
まずは自分の仕事を考えていて、子が小学生になった時の想像なんかしていなかった。
娘の時も痛感したのだが、既に同じ保育園や幼稚園の子は集まる。
当たり前だ。新しい環境に不安な中、知り合いと一緒にいる安心感。
その内、クラス分けでバラバラになるのだが、やはり取っ付きにくさのハードルの差はある。

娘の時はコロナのせいで学校が始まったのが六月という環境で、
他人と話すな近づくな、給食は前を向いて黙食。
さらにマスクで表情は見えず、のような状態は友達作るとか言ってられなかっただろうな、というのが正直なところ。

三年経過した今、息子の時はどうなるだろうか。

まず、娘は行かなかった学童に四月頭に入所する。
なんと200人いるらしい
多すぎる。
先生何人で対応を……?

そして四月半ばに小学生になる。
周りに友達がいない中、どうなるだろう。
もう明日で保育園は終わり。
月曜日からは学童。

……保育園って延長出来ませんよね?
……あと六年ぐらい。(願望)

ちなみに学童も朝、送るし、解散場所に迎えに行くよ。
弁当もいるよ。
過保護かもしれないが、解散場所から迷子になる子がいるらしい。
うちの子、その可能性が捨てきれない。

保育園、手厚かったな〜!!!
先生、ありがとう!!!
感謝しかない……!!!!
明日はいっぱい、ありがとうって言ってくる。