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【後編】ヴィパッサナーに行ってきました!これが、中々書き出せなかったのです。

ヴィッパサナーを終え、現実世界に帰ってきた2日前、とりいそぎ勢いで前編だけアップしました。

後編では、より体系的にヴィッパサナーを理解した上でそれを書き、自分が感じたことのすべてをこれまた体系化した上で書きたい、そう思っていました。ゆえに、中々書き出せずにおりました。結果、至った、現在地。

自分としてどう感じるか。自分としてどう考えるか。自分としてどう生きることにつなげていくのか。これが一番大事。体系的な文章にすることは、私の仕事ではなかった…!

(昨日は、浄土真宗の東西分裂の政治的な背景などに意識が向いていました。より自分自身の本質的な理解を助けるために、参考情報として背景知識を取りに行くことはしてもいいかもしれません。でも全体像を客観的・体系的に捉えること自体を目的に、それをすることにはあまり意味がないかもしれない。もちろんそういう学問があってもいいのだけど。)


で、自分としては何を体得したのか?

ひとつは、私の心は常にうるさく、そして狂人のようであるということへの気付き。ふたつめは、そのことに日々気付くための、すごく具体的で明確な立ち返るべき場所・拠り所としての「呼吸」と「感覚」


狂人のたとえ

目の前に大変お腹を空かせた人がいる。親切なあなたは持っていた食べ物をその人に与えた。彼は目を輝かせて、すぐさま大きく口を空けて食べ物にかじりつこうとした。が、その瞬間、彼はここ3日ほどお風呂に入っていなかったことを思い出した。手にしていたパンを石鹸だと思い込み、体中にごしごしなすりつけはじめた。かと思いきや、突然、目の前に立つあなたが彼を殺そうとしているという恐怖に駆られ、もらった食べ物すべてをあなたに向かって投げつけてきた。こんな人がいたら、あなたはきっと彼のことを狂人だと考えるだろう。(ヴィッパサナー講話より)

私の心は、この狂人のようでした。次から次へと終始移ろい続け、本当にうるさかった。瞑想しているからそうなったのではありません。普段から常にそうなのです。瞑想によって、そのことに気づけました。


立ち返るべき場所・拠り所としての「呼吸」と「感覚」
なぜ、狂人の心に気づけたのか?私自身の「呼吸」が、「感覚」が、立ち返る場所となってくれたからです。なぜ、そのことに気づけたのか?私が私の内側をひたすらに「観察」したからです。普段は、外の観察ばかり。中々、自分の内側を観察しようとはしません。なんでだろう。でも、今回、「観察」することの奥深さを心から感じられたので、習慣化できそうです。本当にめちゃくちゃ具体的なソリューション。


3種類の瞑想

ちょっとだけ、中身の話もします。この10日間で、以下3種類の瞑想を実践します。
※正式な説明ではなく、個人で捉えた感覚が多分に含まれているのでご承知おきください。

①アーナパーナ瞑想
楽な姿勢で座り、目を閉じて「呼吸」に意識を向けます。呼吸をするとき、私は、この空気を吸いたい!この空気は好きだから、吐き出したくない!とか考えていません。周辺の空気を吸って、吐く。そこには執着につながる渇望も嫌悪も存在しません。私が中々実践できていない自然の理を、呼吸は、常に実践しているのです。

②ヴィパッサナー瞑想
楽な姿勢で座り、目を閉じて全身の「感覚」に意識を向けます。足が痺れを感じているな、鼻先がちょっとかゆいな、股関節がカチコチで痛いな、とかとか。粗雑な感覚から微細な感覚、そして感覚を感じられない感覚(?)など、様々あります。そこからは執着につながる渇望や嫌悪が生まれやすいです。「ああ、気持ちいい!」とか「痛すぎて嫌だ!しんどい!」とか。でも、そのように即座に反応するのではなく、平静に「感覚」をただ「観察」します。そうしてあらゆる感覚の本質が無常であること、つまり、すべての「感覚」が生まれては消えていくという性質を共通して持っていることに気付きます。そこまでいたると、執着につながる渇望や嫌悪は消え去ると。

人が心に執着や嫌悪の反応を抱くとき、人はそれを内側だけに留めることができずに、瞬間的に外側へ放出してしまうとのこと。(これ、すごく心当たりがあって、笑えてきました。)なぜなら、その方が自分が楽になる(気がする)から。でも実際には、内から外に出す分だけ、顕在意識からは消えるものの、潜在意識により深く刻まれていくというのです。(これも、なんか分かる気がします。)だからこそ、即座に外側へ放出するのではなく、「観察」することが大事とのこと。

③メッター瞑想

メッター瞑想では、自身の心を愛と慈しみで心を満たし、宇宙の波動とつながり、そして、内側から世界に放出します。執着や嫌悪は、外に放出せず「観察」によって消滅させていくことが必要ですが、愛と慈しみはその逆です。内側で大きく育みつつ、どんどん外側に放出していっちゃいます。外側に放出すればするほど、内側が大きく育まれるという。

11日目の朝、プログラムの終盤の終盤にあるメッター瞑想中、涙があふれて止まりませんでした。私だけでなく、周囲の人の多くが同じ状況のようでした。日々の中でもあの感覚を大事にしたいものです。本当に世界を変える力があると思う。持つべきものは、愛。


さいごに

2019年の元旦に立てた目標は、「心と友達になる」でした。本当に良い目標立てたなあと思います(笑)。そこを起点として、残りの5か月半も過ごしていこうと思います。

引き続き、「観察」していく。「呼吸」と「感覚」という拠り所を得られたのは本当に大きい。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。ー『方丈記』鴨長明ー

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