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「気付くしか、しかたのないこと」を話す会

根津にある素敵なカフェで、「気付くしか、しかたのないこと」を話す会について、作戦会議をしてきました。その中で、出てきたこと、そこから連想したことを、メモ書き程度に。

気負えば気負うほど。
力を抜けば抜くほど。

気負って頑張る。

忘れた頃に、肩の力が抜ける。

なにかが動き出す。

きっと、必要なのは、自分の中の準備だけではない。

「なんか今じゃないかも」

そう思う時は、少し待ってみた方がいい。

客観世界と主観世界

近代科学、デカルトとニュートン。

物事はすべて因果関係で説明でき、この範囲において、物事は予測可能。

科学的考察。哲学的考察。

同時並行でないと間に合わない。

外なる自然。内なる自然。

客観世界。主観世界。

見えるもの。見えないもの(気付くしか、しかたのないもの)。

もう一つの近代、スピノザ。

量子力学。観察者の存在が対象の性質に影響を及ぼす。

間主観性。

難解なのではない。

足下の土台を、意識を変えること。これが一番難しい。

音楽

音をつながりのように聴くから、音楽として受け取れる。

つながりのないバラバラのノイズだと、それはただのノイズ。

世界をつながりのように受け取るか、

つながりのないバラバラなノイズとして受け取るか。

自分と分離できるか

自分とその他を分離できるものは、解決できる。

自分とその他を分離できないものは、
今までのやり方では解決できない。

記号化のワナ

多様性。主体性。

意味が混線していないか。

主観と客観が入り混じっていないか。 

見えないものを、見えるものに置き換えてしまっていないか。

内側の世界と外側の世界はつながっている。

(内側の世界は開かれている。)

内側の世界を外に表現する。

外側(近所)の世界が少し変わる。

(誰かの内側の世界も少し変わるかも。)

自分の内側の世界もまた少し変わる。

それをまた外に表現する。 

外側の世界が少し変わる。

(noteの更新もそういうこと。)

(これが「時間」の本質らしい。)

(内側の世界は開かれている。)

場所と条件

自分がどこに位置するかによって、見えるものが変わる。生育環境などの条件によって、見えるものが変わる。

どんな場所から、どんな条件の上に、その世界を見ているのか。

客観世界で用いられる記号は、変わらない。古くなったり、意味がなくなったりもする。

主観世界で用いられる文脈・コンテキストは、生であり、絶えず変わり続ける。揺らぎ続ける。

自己肯定感。客観世界の記号。「肯定する」ということは、「答え」を見つけ、それを誰かに「正解だよ」と言ってもらわないといけない。構造的に、自分1人では持てないもの。

自信。主観世界の文脈。「答え」があるわけではないが、分をじて任せる。いかようにも方向修正できる。変わり続ける。揺らぎ続ける。

生命の本質とは

コナトゥス。自分の存在を維持しようとする力

これが、生命の本質であるとスピノザはいう。

それは、「わきあがる泉」のようなもの。

「緑の茎を通して花を咲かせる力」のようなもの。

ここをベースに考える。

「ルールを◯◯」
あてはまる言葉は?

ルールを守る。ルールを破る。

この二つを想像する人が多いそうです。

ルールがあって、そこにいかに従えるかという世界。

そんな世界は息苦しい。

ルールがない、ルールが破られる。

そんな世界は住みにくい。

ルールをつくる。ルールを変える。

納得感のあるルールをつくり、状況によってルールを変えていく。

そんな世界を受け取りたい。


「気付くしか、しかたのないこと」を話す会

気付くしか、しかたのないことについて、話せる場があるといいよね。」
「たとえ、そこに参加しなくても、そんな場があるということを知っているだけで意味はある。そんな場になる気がする。」

ということで、そんな場をつくれるといいなと思います。もう少し考えつつ、発信しつつ、一緒に場づくりしたい人が増えつつ、考えつつ、進めていけたら良いなあ。

May All Beings Be Happy.

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