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言葉をつくる=世界をつくる

特定のコミュニティ内で、高頻度で使われている「言葉」ってありませんか?
その「言葉」の威力って実はものすごくて、そのコミュニティ内の人の思考パターン、認知パターン、行動パターンにすごく大きな影響を与えるんじゃないかと。(テキストマイニングの面白さと可能性ってこのへんにあるのか!)

たしか、創世記の冒頭は、光や闇、空や海に神が名前を付けるところから始まる。すでに様々なものに名前が付いた世界に生まれてくる私たちは、まずは、すでに名付けられているたくさんのものを覚えながら、世界認識をより深めていくんじゃないかな。(勉強するってこういうことかもしれない。)

「言葉」は常に作り出され続けているし、同時に、どんどん失われていく「言葉」もある。地元、沖縄でも、方言を話す人は年々少なくなってきている。(たしか、皇民化教育の一貫で戦後、方言禁止になったんだよなー)「言葉」が世界認識をつくると仮定すると、統治において、「言葉」は非常に重要になってくる。企業におけるビジョンやコアバリューにも同じことが言えそう。

「言葉」は、現実を切り取る。「言葉」次第で現実はいかようにも切り取れる。つまり、使う「言葉」によって、その人の世界認識は変わりうる。だとしたとき、自分の「言葉」に自覚的でありたいものです。

一日の終わりに、すごいものを観てしまった。しかも、参院選の前日。選挙権を得て早7年、政治との関わり方・スタンスをとれないでいるまま、なあなあにきてしまっている。どう考えていこうかなあ。

政治について語り出すと、それこそいろんな「言葉」が問題になってくる。歴史認識問題、教科書問題、文書改ざん問題・・・とか。そこには、もちろんいろいろと取り上げて考えるべきことはあるんだけど、この映画見ながら私が考えていたのは、やっぱり人間の集合が国だし、社会だし、本当に向き合うべきは私という「人間」なんじゃないかということ。

私は、いつのまにか自分の過去の記憶を書き換えていたり、都合の悪いことは人に隠したり、なんというか、ダークサイドを持ってますよね。人間はおそらく、全員がそうなんじゃないかと。そこの人間の性質と、政治問題の性質って究極的には同じなんじゃないかな。そんなシンプルじゃないかな?

(最近はこういうのもあるんですね。投票ナビ。すごいスタイリッシュ!)

「言葉」を獲得することは、世界をより広範囲に、より解像度高く捉えることにつながる。「言葉」をつくりだすことは、新しい世界をつくりだすことにつながる。

先人たちの紡いできた言葉を、私はちゃんと受け止めきれているのかな。次世代に紡ぐべき言葉を、私はちゃんと残せているのかな。

What a wonderful world!

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