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叔母のウェディングドレス

1965年ウェディングドレスの着用率が3パーセントだったそうです。
私の父方の叔母の話です。
私の父は長男です。母が父の元に嫁いだ頃まだ中学生だった叔母は嫁ぐまで同じ家に住んでいました。
叔母が高校生になり、毎朝セーラー服を着る光景を私は覚えています。叔母は私より16歳上ですから、おそらく、私が1、2歳くらいの記憶だと思います。
マンドリンクラブに入っていて、裸電球の下でマンドリンを弾いていたのも覚えています。

私の祖父は電電公社(後のNTT)の社員でした。お給料もそう多くなかったはずです。「金銭の資産は残さない、頭の中に財産を残す。」という考えの人で、7人兄弟の6人を大学に行かせました。叔父たちは国公立の大学を選んだり奨学金をもらって通いましたが、それでも6人全員を大学に行かせるのは祖父にとって大変なことだったと思います。
ただ1人叔母だけが大学に行かせてもらえませんでした。教育熱心な祖父でしたが、女に教育は必要ないという考えでした。叔母は学校の成績がよく、卒業式では総代で卒業証書を受け取ったそうです。当時、総代は成績首席者が務めていました。

「大学に行かせてください。」
「だめだ、行かせない。」
叔母は何度もお願いしましたが叶わなくて泣いていたのを私は微かに覚えています。

その後叔母は電電公社に就職し、叔父の親友と婚約しました。日曜日になると、栃木から東京のデパートに行き真っ白な生地をたくさん買ってきました。そして仕事から戻ると毎晩夜遅くまでミシンを踏んでいました。
叔母はカトリックの洗礼を受けていました。私も叔母に連れられて物心がつく前に教会に通っていました。
叔母のウェディングドレスのヘッドドレスとベールは中世の修道院でシスターが身につけていたベールを自分でデザインしたものでした。
ドレスもシスターの服をデザインしていました。
何枚も何枚も新聞チラシの裏側にデザイン画を描いていました。

忘れもしない。11月3日、叔母は通い慣れたカトリック栃木教会の入り口に立っていました。
ウェディングドレスを着た叔母は眩しいくらいに美しくて、絵本で見た白雪姫みたいだと思いました。祖母似の叔母は美しい人でした。
結婚と同時に仕事を辞めましたが、大学に進学出来なかった悔しさや悲しさを穴埋めするかのように叔母は様々な資格を取り続けました。調理師の資格をとって、お好み焼き屋さんを開きました。お店はとても繁盛しました。叔母の作るモツ煮やサラダがとても美味しかったのです。
繁盛している最中に叔母はあっさりとお店を閉めてしまいました。

お店の仕事と並行して密かに介護施設の仕事をしていたのです。お店を閉め介護の仕事を本格的に始めました。頑張り屋の叔母は介護福祉士、ケアマネジャーの資格などどんどん取得していきました。その間結婚前から続けていた日本舞踊もつい数年前まで続けました。

若かった頃物静かで大人しかった叔母は、いつの間にかパキパキ仕事をこなす逞しい女性になっていました。叔母の夫が脳梗塞になるまで、たくさんの人を介護し、たくさんの人を見送りました。
夫の疾病で仕事から離れ、最後に夫を介護し見送りました。

一昨年、実家に帰った折、実家の隣に住んでいる叔母を訪ねました。叔母はきちんとお化粧をして玄関から出てきました。
「あげたいと思ってずっと用意してあったものがあるんだ。家に上がって上がって。」
家に入ると私は義叔父の仏壇にお線香をあげました。きちんと片付いた部屋には炬燵があり、炬燵の上には新聞の切り抜きが無造作に置かれていました。その横に山積みの本がありました。
相変わらずだなと思いました。

叔母が持ってきたのは、真珠のネックレスでした。一連の長いネックレスを、一連と三連の二つのネックレスにリフォームしてもらったそうです。
「いいものなのよ。
私は使う機会がもうなくなってしまったので、眞枝(私の本名)にいつかあげようと思ってずっと用意していたの。」
ネックレスを見て叔母がどれだけ大切にしていたのがすぐ分かりました。
叔母からもらったネックレスは意外に出番が多く、教会のコンサートや知人のコンサート、花展やいろいろな場所で活躍しました。
淡い桜色に柔らかな光を放つ真珠が叔母のこれまでの生き方を伝えているようです。

もしかしたら、

この真珠のような叔母の生き方の原点はあのウェディングドレスにあったのではないか、とふと思うのです。頑張って頑張って良い成績をとっても女だからという理由だけで進学出来なかった叔母。
その不条理の悔しさや悲しさを抱えながら、形の違う道を選んでも、結局、本来の自分の姿で生きてきたのではないかと。

遠い日、純白の布地を自分の描いたウェディングドレスにひと針ひと針縫い上げたように、居場所は違ってもコツコツと学び続けてきたのではないかと。

80歳を過ぎ叔母はまだ元気です。
相変わらず、今頃、新聞記事を切り抜き思う存分本を読んでいると思います。
私は叔母からもらったネックレスを次に使うのはいつだろうとわくわくしています。


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