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リストカットの記憶

衝撃的な内容、痛い表現、ショックな表現などが含まれます。ごめんなさい。苦手な方は閲覧をお控えください。


ふと、テレビで「リストカット」についての話題を見たとき、どうしてもこのnoteを書きたいと思った。

わたしは昔、リストカットに心を救われていたことがあった。
誰かに見つからないように、半袖からも見えない場所に気を配りながら、それでもその行為をやめられない時期があった。

リストカットという言葉を聞くとみんな決まって顔をしかめる。
心に闇を抱えていることを心配してくれる人もいる。
誰かに気づいて欲しいから。誰かに構って欲しいんだよ、ちょっとめんどくさいよね。と軽蔑する人もいる。
その名のとおり、カッターナイフとかハサミの刃で自分の腕を切りつけて傷を作る行為。
当然痛いし、血が出る。危うく血管を切ってしまったら命にだって関わる危ない行為なんだ。

多くの人が、リストカットという言葉を知るのは大抵、中学や高校の思春期の時期だろう。
「あの子の腕にはリストカットの跡があるよ」なんて噂はクラスを飛び越えてひそひそ話の格好のネタになる。
それなのに、中学生や高校生のとき、誰かの腕からその傷を見ることはそんなに珍しくはなかった。

わたしが初めてリストカットをしたのは、中学2年生の時だったと思う。
部活動でどれだけ頑張っても結果が出ずに自分だけレギュラーに選ばれなかった。それなのに、部活動で疲れて勉強も出来なくて成績は中の下から抜け出せずに、自分への苛立ちと焦りでいっぱいいっぱいになっていた。
もう死んでしまいたいという気持ちに脳が完全に支配されて涙が止まらなかった。
そんな時、ふと、思い立って、机の引き出しにあったカッターナイフを取り出して手首に当ててみた。
カッターナイフの刃はひんやりと冷たい。ましてや、手首の大切な血管の上にあたった感触は他の部分の肌よりもさらに敏感で、一斉に全身の肌が粟立った。
怖かった。このままスッと引いてしまえば血が出るし、とんでもなく痛いことは分かっていた。
それでも、僅かばかりの好奇心の上に、自分を許せないという自己嫌悪の凄まじい稲妻が走って、震えながら自分の腕にカッターの刃を押し当てて滑らせた。

キリリという鋭い痛みと共に、肌には数センチの亀裂が入りじんわりと血が滲み出ていた。
想像していた痛みよりも、あぁ、自分で自分を傷つけてしまったという恐怖があって、思っていたよりは痛くなかった。
けれどそれよりも、この痛みと傷で自分を罰した分、自分を許せるような気持ちが勝った。
死にたくてたまらなかった気持ちを抑えるための大切な代わりだった。
確実に狂っていたと思う。
自分で自分を傷つけることなんて、良いことじゃ無いって今なら分かる。それでも、自分を許せなくなったわたしにはその痛みと傷は僅かな免罪符のようなものに感じてしまっていた。

それから、わたしはリストカットという行為に自分を許す意味を重ねていった。
自分がたまらなく嫌いになって許せなくなった夜にはいくつも自分の腕に切り傷を刻んだ。
痛みはそのうちに感じなくなっていった。
慣れもあったし、罪の意識と自分への悔しさで興奮しきった脳は、痛みを打ち消していた。

けれど、ある日一度だけ、刃がいつもとは違う深い角度に入り込んで激痛が走った。血が流れるスピードに怖気付いたわたしはすぐにガーゼと絆創膏で止血をしながら、やっと我に返った。
カッターナイフで傷つけた傷跡よりも、自分を傷つけ続けることの虚しさの方がズキズキと痛いことに涙が止まらなくなった。
その深い傷のおかげで、わたしはそれ以来カッターナイフを腕に当てることはやめることが出来た。

大人になった今でも、何度もリストカットという言葉を耳にする。
リストカットは悪なのか?
わたしはリストカットは悪とは言い切れない。
いや、その行為自体は決して良くないことで間違いは無い。けれど、単にその行為を責めることは出来ない。

寂しいから。誰かに気づいて欲しいから。わたしのように、死にたくてたまらない衝動を抑えるための代わりの意味かもしれない。
その責められる行為の裏にはその人にしか分からない慰めの意味が込められているように思えて仕方がない。
だから、単に悪だと決めつけて怒ったり軽蔑したりすることはどうしても出来ない。
きっと後から後悔することがあるから、出来るならやめなさい。と言い聞かせながらも、どうしてそんなダメなことをするの?なんて責められない。

わたしは未だに誰にも言えない。
言う勇気がない。だから代わりにここに書いた。
幸い、今のわたしは、その一度の深い一本の傷を除いて、他の切り傷はきれいに消えている。
何事も無かったかのように、黙っていれば済むことだ。
きっと若気の至りだった。それだけだ。
けれど、その自傷行為が、病的なほどの自責の念で苦しみもがいていた時のわたしを唯一、前へと生かしていたという記憶は消えない。

もし、大切な人が、友達が、自分の子供が、同じようなことをしていたら。
わたしは黙って抱きしめることしかしない。
いけないことだとも、やめなさいとも言えない。
ただ、その行為の理由を尋ねて、でも出来ることなら少しずつ、もっと安全な方法でその行為の代わりを見つけて欲しいと伝えるしかないんだろう。

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