真面目ちゃん

昨日は七夕だった。いつもは七夕なんか全く気にしないくせに、今年はこっそりと心の中で短冊にお願い事を書いていた。
「真面目でいい子をやめたい」
真面目もいい子も、大人からしたら子供に求めたい理想像なのかもしれない。
でも、求められる理想像も世間に合わせてアップデートされるべきだ。
いや、世間に合わせてじゃなくて、社会に出るために、が正しいのかもしれない。

就活で面接対策を始めて思ったことがある。
「真面目」は苦しい。
クッキーの液を型に流し込むように、自分の考えや表現を「無難」という名の枠に流しこもうとしてしまう。
どんなことにも模範解答があると思っている。
乱れることを、乱されることを嫌う。

でも本当は、社会だって運命だって、わたしの感情だって、全て大きな海の波のようだ。
どっと押し寄せては全てを掻っ攫うかのようにざっと引く。鏡のような水面に、気まぐれな荒波が覆いかぶさる。

綺麗なフォームのクロールも、事前に準備をした浮き輪も波の上では何の役にも立たない。
そんなことを分かっていながら、習ったクロールで泳ぐことしか術を知らない、「真面目ちゃん」
なわたしが嫌いだ。

ねぇ、もうやめてしまわないか。

この海の渡り方は、きっちり習得したクロールじゃない。
サーファーになって荒れる高波に乗ってみるか、
モーセになって海を真っ二つに割ってみるか。
時にはこっそりと海を渡る大型船に忍び込んでしまっても良いんだよ。

そうやって模範解答なんて気にしない人が、海を渡りきれるのかもしれないね。

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