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野良猫、事務所を襲撃する

「まずいぜアニキ、裏口まですっぽり囲まれてやがる!」

 ダックスフンドは短い尻尾を後ろ足の間に挟み、悲痛な顔と声で言った。よもや野良猫たちがこんな強硬手段を取るとは予想だにしていなかった。

 事務所の中は薄暗かった。保健所に連絡したと知った野良猫たちが、電話線と同時に電線も切断したからだ。

 俺たちを助けに来た保健所の職員は既に全滅していた。ブラインドの隙間から窓の外を見ると、食いちぎられた手足や臓器が、俺の事務所のまわりに散乱している。ひどい有様だった。

 血が川となって、いつもダックスフンドが小便をする電柱の脇を通り過ぎ、排水溝へ流れている。血糊に陽光が反射して、てらてらと光っていた。その他の血は乾ききってどす黒く変色している。

 俺は銃のマガジンを抜いて残弾を確認した。あと三発しかない。しかし例え百発あろうが、あのすばしっこい野良猫たちに命中させる自信は無かった。

「天気予報は!」

 俺は皮張りのソファーの上で震えるダックスフンドに訊ねた。完全生物、猫の唯一の弱点は水だ。雨さえ降れば、ここから逃げるチャンスもあるかもしれない。

 ダックスフンドは鼻で器用に俺のスマートフォンを操作するも「駄目だ、今日は晴天だよう」と泣き声を上げる。

「泣き言を言うんじゃない、二足歩行ラーメンの攻撃だって凌いだじゃないか。今回もきっと何とかなるさ!」

「あのときはコショウがあったじゃないか!」

 そのとき、玄関の戸をカリカリと引っ掻く音が聞こえた。

「ヒッ!」

 ダックスフンドがソファーから転げ落ちた。まずい事態だった。保健所の職員が全滅した瞬間を狙って投げたありったけのチュールが、もう吸い尽くされてしまったようだ。

 俺は玄関へ向けて銃を向ける。

「裏口を見てろ、陽動かも知れない!」

 ダックスフンドにそう命じるが、奴は部屋の隅に縮こまってもう役には立たなかった。

 やがてカリカリという音が止んで、ドアの下から紙きれが差し込まれた。拾って読んでみる。

荒巻デッドダイブ君。我々も鬼ではない。冷蔵庫に保管された残りのチュールを明け渡せば今日のところは退散してやろうじゃないか。

 信用できない話だった。そもそも野良猫が事務所を襲撃したのだって、俺が日課のチュールをあげるのを忘れたせいじゃないか。強欲な野良猫が、冷蔵庫にあるわずかなチュールで満足するはずがない。俺とダックスフンドを殺し、事務所の現金を奪って、近所のスーパーで新たにチュールを買うに決まっている。

「くそっ、箱男(*)なら奴らの包囲を軽々と抜けられるんだが………」

 だが事務所に段ボールは無い。この前の資源ごみの日に、まとめで出してしまったのだ。我ながら間が悪い。

 あるいは、奴らの気を引くおもちゃでもあればいいのだけれど。

 そのとき、俺は机の引き出しに赤いヨーヨーを仕舞っているのに気が付いた。野良猫の要求書を丸めてゴミ箱に捨てて、引き出しを開ける。

 果たして赤いヨーヨーがそこにあった。俺は銃を仕舞って指をヨーヨーの糸に通す。イチかバチかだ。これでだめなら大人しく食われるしかない。

 俺は玄関を開け放ち、糸の伸び切ったヨーヨーを勢いよく縦に振り回した。玄関で待ち構えていた野良猫たちは口々に「ニャーニャー」と言って、食い入るようにヨーヨーを注視する。

 うまく行った。俺は指から糸を外してヨーヨーを遠く、通りの向こう側へ放り投げた。

「ニャー!」

 野良猫たちがヨーヨーを追いかける。

 助かった。俺はダックスフンドを抱えて外へ逃げた。このまま電車に乗って空港へ向かおう。アラスカへ行って身を隠すのだ。野良猫がチュールの味を忘れるまで………。

<了>

*猫は段ボール箱を神聖視しているので、段ボールを攻撃することはない。例外は1975年、ミシガン州で起きたベライ事件であるが、当該の猫は猫文化的に隔離された環境で育った。

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