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心地よかった自分に戻ろう

私には2回ほど、性格が変わったなと思うタイミングがありました。

1度目は、小学4年生の引越しをした時。
「周りをよく見て人の輪にはいるんだよ」と母に言われたことを今でもよく覚えている。既にある輪を乱すといじめに繋がると考えたんだろう。その時から、周りの目に脅えながら生きるようになった。

2度目は高校の吹奏楽部に入った時。
私は地区大会ビリの中学吹奏楽部の出身だった。高校は県大会常連レベル。力の差は歴然だった。でも私は下手なことさえ分からないくらい下手だった。
周りのみんなはとても上手だった。そしてプライドも高く、自信をもって、いわゆるメンタル強い人の集まりだった。
私は自分の下手さに気づき、一生懸命に練習した。一時は学年で1位と言われるくらい上手くなれた。でも、周りとの壁を感じた。下克上を果たし、仲間に陰口を叩かれるような、嫌なものではなく。ただ、私がプライドが高く自信のある人のようにはなれなかった。常に謙虚すぎて怯えていた。
それでも馴染みたくて、自信があるように振る舞うことを覚えた。そうでなきゃ、あの環境に居続けることはできなかった。


小学4年生の時から周りの目を気にするようになって
高校生の時は自信が無いのにあるように振る舞うようになって
どんどん自分のことが嫌いになっていた。

高校の時は、人には分からないような自傷行為をしてしまうほど、自分の心や感じ方を犠牲にするようになってしまって、自己嫌悪も加速した。



それらのタイミングは悪い方向に進んだ時だった。
もう、自分の心を犠牲にしたくない。これ以上、自分を嫌いになりたくない。

だったら、自分が一番心地よかったときに戻ろうと思った。

私が一番心地よかったときは小学校低学年の時。
心から平和を願っていたと思う。穏やか、かつ平和な日々。好きな時に本を読み、好きな時に友達と遊び、好きな時にひとり遊びもする。そんな子だった。休み時間にまで本を読み「お友達いるの?」と先生に心配されるほどだったが、他人への優しさから生まれる信頼のおかげでどんな人とも仲良くできた。無口な子からも口を開いてもらえ、癇癪起こす子も私の言うことだけは聞く。
それだけ周りの人からから心を開いてもらえ、信頼してもらっていた。

それができる人は少ないのだろう。
私にとっては当たり前のことをしていただけだけど、時間が経ってもなお、いろんな人から感謝される。

その時の自分が、人生で一番自分らしかった。


そんな時代に戻りたい。

変わらなきゃいけなかったから、きっとこんなにガラッと私は変わってしまった。環境に合わせた変化は起こるべきものだ。でも、それの度が過ぎていた。自分を犠牲にしてまで、自分を変える必要はない。



今の自分の常識とか、凝り固まった考えを払拭しようともがき苦しむ毎日。世の中、常識が全てじゃないと知った。常識に囚われて生きる必要は無い。

私は、親にとって都合のいい常識だけを信じて、自分で自分を苦しめていたことに気づいた。

生きづらさはわたし自身が作っていた|葵月みず



だから私は

・周りの目を気にしすぎること
・自信があるように振る舞うこと
・自分で自分の道を狭めること

をやめて、


・他者への優しさ
・自分の心からやしたいことの選択

を大切にして、心地よい自分を取り戻したい。

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