言葉を紡ぐこと

言葉を紡ぐことは
私にとって
容易なことであり
わくわくする行為の一つでしたが

見られている

と意識し始めたら
私の言葉は私の言葉じゃなくなってしまうと
最近気づきました

私の言葉や感情を


見られている

人は人の言動をそれほど
気にしていないと思っていましたが
思ったより

見られている

自己開示というものは

してしまえば楽になるかもしれないが

それは恐怖にもつながるのだと

文字に感情を載せるのは
だいぶ難しい

特に元気がないわけじゃない時でも
文章だけ読んだら
「元気がない人」

と見えることもあるし
逆も然り

それに伴い
会話の言葉も躊躇われることがあります

そんな恐怖を腹の底に据えながらも
書いてしまうんです
こうして
言葉を紡いでしまうんです

嫌なら書かなきゃ良い
そりゃそうだ

感情を見られたくないなら
書かなきゃ良い
そりゃそうだ

でも
書かずにはいられないのです

心に溜まったものは
ちゃんと出さないと
体の中で
燻って
腐って
異臭を放ちます

そうなったらもう取り返しがつかない
もっと早く処理していたら
こんなことにはならなかったのに

という事態も訪れます

3月にお店を始めて
ネット販売を始めて
間借りを始めて

半年以上が過ぎ
毎日インスタの更新をしていました
休まず
せっせと

しかし、最近
ちょっと
載せるのを躊躇し
できるだけ
書いておりません

ただ
珈琲が好きで
珈琲が好きな人と
一緒に語らい
空間を共にし
「今日の珈琲も美味しかったよ」
そういう日が
私は好きです

私の珈琲を好きでいてほしいだけなのです

背中を椅子に深く預けて
外をぼーっと見るような
今日は天気がいいから外で飲もうか
なんて言ってしまうような

そういうお店がしたいんです

やっぱり私は
自分のお店が作りたいのです

最近
函館に戻って実家を珈琲屋にしてもいいかもしれない


思い始めています

なぜなら
京都という地で
私は頑張れるだろうか


ちょっと弱気になり始めているからです

すぐにという話ではないのですが
函館への引っ越し代くらいの貯金に減るまでは
こちらで頑張ります

それまでは
おいしい珈琲を
焼いて
淹れさせていただきます


よろしくお願いいたします




合言葉は



ごきげんよう


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