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ボクと光GENJI

1988年、全盛のアイドルと言えばジャニーズ事務所の「光GENJI」であった。
当時、正に「国民的アイドル」という言葉そのもので、ボクらは小学校4年生の時、「パラダイス銀河」を全学年で歌うことになったのである。

当時、光GENJIのローラースケートパフォーマンスの影響で、実際にローラースケートが流行ったり、小学館が発行していた「小学〇年生」といった雑誌や、ボクが読んでいた「学研」の雑誌などでも、こぞって光GENJIを特集していたので、ボクももちろん名前を知っていた。
しかし、以前にも書いたが、ボクは、運動嫌いだったために、地域で非常に盛んだった少年野球も大嫌いだったし、

当時、小学生の間で絶頂のブームだった「ファミコン」にも背を向けるようなボクだったので、

当然ながら、「光GENJI」ブームにも、ボクは、なんとなく冷ややかな目を向けていた。

小学4年生も終わりに近づいた頃、卒業する「6年生を送る会」に向けた学年発表の練習が始まり、小学校の体育館で開催するので、さすがにローラースケートはできなかったが、何となく光GENJIの振り付けを簡素化したダンスを先生が手ほどきし始めた。
そんな中で、先生が「運動が得意な男子は前に出てきて!!」と言った。

みんな顔を見合わせて、「誰が出るんだ!?」みたいな顔をしていたが、先生は、もちろん体育が得意な生徒のことは知っていた。
もちろん、先生が単純に指名することもできたのだろうが、まぁ、先生の立場としても、多少なりとも生徒の「自主性」みたいなものを重んじたかったのだろうか。
少しざわつく生徒たちの中から、「自主的な立候補」と、「生徒たちからの推薦」と、「先生の推薦」をまぜこぜにした感じで、体育が得意だったOくん、Mくん、Tくんの3人が、みんなから押し出されるようにボクらの前に立つことになった。

ボクらの学年全員、生徒たちとしては、納得の顔ぶれだったと思う。
OくんとMくんは、学年の中ではトップクラスの運動神経で、もちろん少年野球もそつなくこなしていたし、側転、前転(頭をつかない前回りw)、そして、バック転までもみんなの前でこなしていた。

だがしかし!

Tくんは、少し違っていた。

確かに運動神経は悪くないのだが、学年トップクラスというわけではなかった。
側転は何とかできたが、Oくん、Mくんの足が真っ直ぐに伸びた側転と比べると、少し見劣りがしたし、前転は、どちらかというと「前回り(頭を地面に付ける)」で、バック転もできなかった。

練習が始まって、クライマックス!
OくんとMくんが前転やバック転をしている間、Tくんは横に立って手拍子をしているしかなかった。

では、何故Tくんが選ばれたのか!?

顔が綺麗だった。

彼には「華」があった。

彼は、バツグンに少年野球が上手いわけではなかった。
他の必死に練習していたメンバーから見ると悔しい面もあったと思うのだが(何しろボクはずっとレギュラーメンバーに入れてもらえなかったのだから、よくわからないのだがw)、地域の少年野球チームで、誰が言わなくとも、大人である監督がTくんを選んで、ショートかファーストの守備で、試合に出ていたのだ。

そして、何故だかボクは昔から女の子に「〇〇くん(ボクじゃない他人)のことが好き」と打ち明けられることが多い人生なのだがw少なくとも学年で5人の女の子は、Tくんのことが好きだった。
ボクが密かにかわいいと思っていたMさんからも、何故か「Tくんのことが好き」という話を聞かされて、小学生ながらショックだったのでよく覚えている。
まぁ、小学生時代の異性に対する「好き」なんて、他愛もなく小便臭い戯言ではあるが。

そんな事情を知っていたボクは、Tくんがバック転ができなくとも、みんなの前で踊っている姿を、うーん、今、何と表現してよいのか、「納得して」というか、「微笑ましく」というか、見ていたし、ボクらの学年のみんなが、同じような思いだったのだと思う。

そうして、「6年生を送る会」に向けて、OくんとMくんは華麗に前転、バック転を交えたダンスをきめ、Tくんは横で何となく揃ってダンスをしながら、ボクらの光GENJI「パラダイス銀河」は完成に近づいていった。

ところが!!

今まで何故か(恐らく、その先生は他の学年の科目も担当していたので、発表会は他の先生に任せていたのだと思う・・・)練習に参加していなかった、学年で一番怖い、学年主任で最年長でもあるS先生(女性)が、完成に近づいたボクらの発表を見に来た日・・・

ボクらの「パラダイス銀河」を見たS先生は、しばらく沈黙した後、言い放ったのだ。

「おい!Tは何をしとるんなら!!ボーっと横に突っ立って!!前転もバック転もできんのなら、他のやつに代われ!!」

ボクは今でもその瞬間の空気を覚えている。
学年中、サーッと凍り付き、空気が2~3度冷めたような空気の後で、小学校4年生ながら、誰も声を上げなかったが、学年みんなの中に、S先生に対する反抗心が燃え上がったのがわかった!
みんな怒り、祈った!

「Tくんを舞台から降ろさないで!!」

恐らく、今まで華街道を歩んできたTくんにとっても、S先生の一言はかなり屈辱的な一言だったのではなかろうか。

しかし、その後、どういう経緯をたどったのか、今となってはよく覚えていないが、結局Tくんは、そのまま前転、バック転をすることなく、発表会で学年代表3人メンバーとしてダンスを踊った。

ボクは、安堵して、後ろからTくんの姿を見つめていた。。。


ジャニー喜多川氏のジャニーズ事務所における行為は、未成年者への虐待であり、権威を傘に着た組織的暴挙で、全く擁護することはできない。

今までのジャニーズ事務所の「国民的アイドル」たちは、みんなジャニー氏にしゃぶられていたのかと思うと、ジャニー氏はある意味、みんなの思いを汚してきたも同然だと思う。

しかし、ボクは「性」を人間から引き離すことはしたくない。
ジャニー氏は少年愛者の変態ジジイではあったが、「華」のある人間を見る目はあった。
その「華」とは何なのか?
幼少期に感じた思いを込めて、ここにエピソードを書いた。

しかし、もう一度言うが、現代社会において、個人の人権侵害行為を組織的に許してしまうことは大問題なのだ。
ボクは、ジャニーズ事務所は即刻解散しないと、日本の芸能界、沈黙したマスメディアも含め、未成年者虐待という犯罪行為、人権侵害を許容したも同然であると思う。

ボクは何かを感じていた。

実は、光GENJIブームが起こる数年前、近藤真彦(当時ジャニーズ事務所所属)の「愚か者」を歌った時の映像に衝撃を受けていた。
今でも覚えている。
当時、誰もが見ていた音楽番組「ザ・ベストテン」だったと思う。
近藤真彦が、「愚か者」を歌い終わったところで、

愚か者よ おまえの流した涙を受けよう
愚か者よ 私の胸に ほほをうずめて 今夜は眠れよ

「愚か者」 作詞:伊達歩 作曲:井上堯之

近藤真彦が、「愚か者」を歌い終わったところで、どこからともなく銃声が鳴り、近藤真彦の胸に仕掛けられた血糊が噴出して、絶命する、という演出を見た。

ステージ上で赤い血潮(血糊だが)を流しながらぐったりする近藤真彦を見て、ボクは股間がムズムズする何かを感じた。

その後、光GENJIが「ガラスの十代」を歌っている時、後半のショートパンツでダンスを踊る姿を見て、ボクの股間のムズムズは確信に変わった。

その数年後、ボクはTくんのことは憧れのまま終わってしまったが、ある拍子に運動神経バツグンな、美少年Mくんの筋肉質な生のお尻に顔を埋めることになる。。。

しかし、オッサンの権力による横暴、人権侵害の少年愛は、やはりダメだ。
犯罪!
全く美しくない!!

このままでは、少年愛について語ることも憚られてしまうことを危惧する。

森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」に対して、稲垣足穂が「ヰタ・マキニカリス」の世界を広げたことは、非常に意味のあることなのだ!

今後も、単なるお題目ではない、多様性について、語っていきたいと思います!

よろしくお願いします!!


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!

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