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adieu note - あなたをちゃんと 思い出にできたよ

「あなたをちゃんと 思い出にできたよ」

なんて切なくて、哀しい一言なのだろう...
どこかやるせなくて、はかなげで。
17歳の私には今まで聞いたどんな曲よりも、どんな言葉たちよりも、胸の中で響き渡った感覚がした。心の隅々にまで、波紋のように広がるその感覚が今でも色濃く残りつづけているなんて。よっぽどの衝撃だったんだろうな。この歌が蘇らせてくれる、心をそっと撫でられたような感触のおかげで私は少しだけ、不安に雲隠れした明日を迎えに行ける気がするんだ。途方に暮れるような辛さの中でも遠くに瞬いているであろう光を、あなたなしで見つけに行く。どうして同じ歳の子が、そう自分自身に言い聞かせるように歌えるのだろう、この心地よさは何だろうと不思議なもやもやを抱え、明くる日もそのしあわせに浸っていたあの頃と同じように。

正体が明かされ、その言葉をはじめて聴いた舞台は「THE FIRST TAKE」。悲しいことがあったわけでもないのに、とにかく泣いていた。歌声でこんなにも涙が出るなんて。adieuの歌声を前にすると、涙腺が自分のものじゃなくなっちゃうから困るのです。

「unveiling」
はじめて目の前で、ライブという形で聴いたその言葉はうっとりしてしまうほど美しくて。あなたを大切な思い出にしまって生きていくんだよ。そんな想いを柔らかく握って前を向く力強さと、少しの強がりが入り混じったような歌だった。

それから2年足らず。予期せぬ道へと進んでしまった世界で彼女の歌声が響き渡る。あなたと、あなたに恋していたわたしを忘れないよ。過去を振り返る怖さも羨む切なさも受け入れ越えたうえで、大事な思い出を優しく抱きかかえながら前を向く。私たち人間がもてる悲しい勇ましさ、大人の強さ。わたしを形作ってくれたあなたと思い出に「à plus」と手をひらひらさせ、遠くで時々振り返りながら歩きだす彼女の姿がそこにあった。

人が人を忘れる過程で最後に残るのは思い出だと聞いたことがある。それが定かであるかはわからないけれど、きっと何が残っていたとしても、紐づけられていた記憶や思い出を失ってしまったらそれはただの無機質なモノで、世界のどこかに影もなく佇んでいるのだろう。
「あなたを、過ごしてきた日々と恋を知った私を、明日には忘れ去ってしまうような記憶でなく、ちゃんと思い出にできたよ」
恥ずかしくなるくらいに心惹かれていた人を忘れてしまいたいという話は珍しくもない。それは悲しみや怒りのみならず、戻ってこないであろう日々が眩しくて、その上にある今がどうしても暗くて、辛くて、諦めるというたった一つだけ残された選択肢さえも消してしまいたいからなのかもしれない。
最初で最後の「さようなら」を迎えた彼女は、この先で会うこともないであろうあなたというキャストとの物語を、思い出という名の本棚にしまっておくことを選んだ。わたしという主人公の明日を描いてくれた感謝とともに。

私にとってナラタージュのこの一言は、adieuの変化をはっきりと感じられる言葉であり、ポロポロと涙が零れてくる言葉。これから何度目を腫らせばいいのだろう。人前で泣くことなんてないのになあ。きっと彼女は明日を迎え続ける中でぐるぐると、螺旋階段のようにいろいろな景色に出会い、生まれてくる感情たちを見つけてあげて、一つ一つ、そのすべてを零さないように大事に抱きしめているんだ。目に映るありのままを信じ、感じるすべてを受け止め、心の声をそのまま奏でているかのように、ありったけの想いをこれでもかと歌に乗せる。だからこそ彼女の歌声はこんなにも簡単に染み渡り、拠り所にしてしまうほど心の中でいつまでも響き渡っているのだろうな。美しくもない私の涙のこの一滴だけは、adieuが教えてくれる人間らしさで透き通った結晶なのかもしれない。


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