タブレット不具合問題で批判すべきことは

徳島県のタブレット不具合で全国ニュースになっていますが。
安いものを導入して不具合が出て使用できなくなっている。県は早急に使用できない端末の代わりを準備するという話。

安いものを導入したことや,報告義務を怠ったことなどが批判の対象(?)とされているように思いますが,批判する対象はそこだけでいいのでしょうか。

県は早急に対応するとなっているけれど…。

新型コロナの影響でタブレット端末の整備が進められ…
整備されたのだから現場では積極的に使用するように言われ…
目的もはっきりせず,使用するためだけの研修が行われたりとか…
学習以外のことに使うことを防ぐために使用を制限したりだとか…

現場にいるとこういうことが身近に起こる訳ですが,今回の騒動で不具合の出たタブレットの影響がどれだけ現場に出てるのか?
「それほど影響が出ていない」なんてことは口が裂けても言えないので,実際のところはわからないのが現状だと思います。

そう考えた時に,今回の県の対応に疑問符が…
悪い言い方をすれば,全国版のニュースで批判されたので,早急に対応した。ように見えました。
何だか,県や教育委員会など公的機関のメンツや評価のために無駄なお金と無駄な労力を使っているように思えます。これらを「無駄」にしているのは,現場が使用できないと困る状況になっていないことです。
タブレットを使用して授業をしていた人たちにとっては困る問題なのですが,現場からそういう声がどの程度上がっているのか?も明らかでありません。

話を戻すと、使ってるか使ってないかも定かではないタブレット端末に不具合が生じて,使えなくて困ってるかどうかもわからない物を全員分早急に調達する。
これらにかかる労力と費用は,全て税金を財源としたもので賄われている。

ニュースになるきっかけになったのは不具合端末の話ですが,本来の問題点はタブレット端末を取り巻くソフト面ハード面の現状であると思います。
批判するならそこを批判しないと。
そもそもタブレット端末が1人一台要るのですか。要ると言うのならそれに見合った使用をして,教育効果が上がっていますか。ということだと思います。

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