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Hip Hop遍歴を書いてみる(その1)

転職活動をしていると、履歴書と職務経歴書の更新がほぼ必須となってくると思います。ふと自分の履歴書を見た時、「そういえばいつからHip Hopを好きになったんだっけ?」なんて事を思い出しながら、こんな記事を書いてみることにしました。

なお、ここから頻繁に登場する【Hip Hop/Rap】というワードは、音楽としてのそれらであることを冒頭で記載します。
こういう事を書かないと、後で面倒臭い人が次々に出てくるのを知っているからです。

では、ここからはいつもの文体で。

平成初頭、YA爆誕。
ごく普通の家庭に育つ。貧困でも金持ちでもない。
父親はJimi HendrixとJanis Joplin好き。車内で流すBGMは決まってJimi HendrixがWoodstockで弾いたアメリカ国歌:The Star-Spangled Banner。
口癖は「Woodstock行ってみたかった」と「みんなヤク中で死んだ」。
母親は松任谷由実/ユーミンのファン。
FMヨコハマを垂れ流しながら家事をそつなくこなしていく。

「幼少期の記憶をどれくらい遡れるかで、自分の言語習得能力が決まる」という話を聞いたことがある。
自分が思い出せる最古の記憶は、幼稚園時代に近所にあった山(←"横浜"も広いのです)で無事迷子になった事だろう。
なお、そこで日本兵を見た。こっちをじっと見てくる日本兵を。本当に。

同世代ならお馴染みのドンキーコングやマリオRPG、ポケモン(私は青バージョン)に没頭。
なぜミュウを出す裏技が日本全国に広がったのだろう。個人的に今でも謎である。どこかで聞いたコマンドを入力しゲームを起動すると無事にサトシが柵の中から出られない。
「人伝話/噂話を鵜呑みにしてはいけない」という教訓をここで学ぶ。

自分から頼んだわけでもなく、なぜかピアノをやらされた。
前職で後輩に「YAさん昔ピアノ習ってました?」と聞かれ「どうして?」と答えると「ピアノ弾いてた人はタイピングがうるさいんですよ」と冗談混じりに言われたのをふと思い出した(本当なのかな?)。
なお、肝心のピアノはランゲ作曲「刈り入れ時」で挫折して辞めた。

中学時代
表現力が乏しい私なのでかなり大雑把になってしまうが、【周りの会話に知恵】があった。昼時にアイシュタインの相対性理論について語り合っているグループがあれば、マジックザギャザリングの英語版カードで対戦しあっている人たち。それも、彼らの横には英和辞典があった。報道ニュースについて語り合う生徒etc。
このカルチャーショック。と同時に、それが1,2年も経てば日常になる。
もちろん、校庭に出て遊んでいる生徒もたくさんいるし、自分も比較的そっちより。そんな中、校庭から教室に帰る途中で1人の生徒(M君)に声をかけられる。

ここまで読み進めた読者は既にお分かりだろう。そう、まだHip HopのHも出てきていない。

ドーパミン1回目発動

当時MD全盛期。各教室にMDコンポがあり、昼休みや放課後に好きな音楽をかけるのはOKだった。M君から1枚のMDを渡され、「海外の音楽まじかっこいいんだよ、これ聴いてみてよ」と。

カラオケに行けば流行りのJ-Popを歌うし、当時流行っていた音楽も知っていたつもりだ。そこで登場した「海外」というワードに惹かれ、放課後の教室でM君と聴いてみる。この"「海外」というワードに惹かれる"というルーツがどこにあるのかというと、やはり両親なのだろう。車の中は常に洋楽に溢れていたし、意味わからずハリウッド映画鑑賞に連行された。キスシーンの時は「目を瞑って」と母親に言われる。なんだかんだで「海外」や「英語」は何かしられで触れる機会が自分の人生にはあった。よく「字幕を読みながら映画を見るのは疲れる」という意見があるが、幼少期から鍛えられていたのでそういう苦痛は一切感じなかった。

でもって、ドーパミン発動である。これまでにない衝撃が全身を駆け巡る。Jay-ZDirt Off Your Shoulderである。

今までに聴いたことがないビートとリズム感。何を言っているのかさっぱりわからない。でも、素直に、そして最高にカッコいいと思った。ProducerのTimbalandには足を向けて眠ることはできない(大嘘)。

おそらく、この衝撃、衝動、感情を越える出来事は今後もないだろう。あのワクワクを言葉で表現するのは自分の語彙力では無理がある。
ただ、自分の人生を劇的に変えた1日、瞬間だったのは間違いない。

さて、そこからラジオで"洋楽"を聴き始めるようになる。
ラジオパーソナリティーが「それでは今からお聴きしてもらいたいのは〜」に耳を傾け、誰が歌っているのかをとにかくメモした。ケーブルテレビのMTVで深夜だろうと関係なく洋楽MVを見まくった。耳が本当に気持ちよかった。それを横で見ている父親は、「全部同じに聞こえるから野球にチャンネル変える」と大人の権力を振りかざしていたのをよく覚えている。

感受性豊かな年頃だ。MVに登場する白人や黒人やらの服装をとにかく真似したかった。その中でもやはり(当時の言葉で)B系ファッションは、私の黒歴史であり青春でもある。ちなみに、当時の私は細身のなで肩。そのような服装が似合う訳はない。そして、地元で何度も絡まれた。
M君や、当時他の"洋楽好き"と色々なアーティストを紹介しあった。Usher・The Black Eyed Peas・Hilary Duff・Linkin Park・The Killers・Maroon 5などなど。Hip Hopというものではなく、とにかく"洋楽"という沼に浸かっていく。

勉強もせず音楽ばかり聴いていたので、案の定高校受験失敗。県内の底辺私立校に進学した。なお、私に海外の音楽を初めて紹介してくれたM君は県内の進学校に進み、その後現役で京大に行った(事実です)。

毎日のように洋楽を聴きまくる中で、やはり最初の衝撃が抑えられずHip Hopというものに興味を示し始めていく。当時の横浜ビブレのHMVに通い、無料視聴コーナーで数時間新譜を聴いたり、新しいアーティストがいないかをチェックする。当時の店員さんには本当に申し訳ないと思っている。なぜなら、本当に数時間ずっと視聴コーナーを占領していたのだから(そして、誰も止めてくれなくて本当にありがとうございました)。

さて、底辺高校に自己責任で進学した。
入学後すぐに「新入生交流」なるものがあり、私服で県内の公園でバーベキューをするものだった。普段は制服でしか交流がないため、こういう時に青春を謳歌したい人は私服で気合を入れるのである。私も。

ドーパミン(?)2回目発動

多くの周りの男子はB系である。
というのも、当時爆発的に流行ってたんですよね、ダボダボのジーンズと今や死語の腰パン。そして丈に合わないXXLくらいあるポロシャツとか。少しお金持ってる人はTimberlandのブーツ履いたり、APE着たり。もしくは、偽物のNew Eraキャップだけでなんとかイキる人とか。

少し嬉しかった。私のイメージとして、そういう服装をしている人はみんなHip Hopを聴いていると思っていたからだ。コミュ障の私もなんとか積極的に話しかけた「ねぇ、Hip Hop好きなの?」・「どんな音楽聴くの?」

今でも忘れない。数十人に話しかけたのに、そのような服装をしている高校生の大多数はHip Hopを聴いていなかった。
つまり、"ファッション"としてそのような服装をしており、嫌な意味でのドーパミン(?)が発動した

刺激が強すぎた中学時代。
朝教室に入れば誰かが黒板に謎の数式を書いてたし、授業中寝るなんて御法度。仮に少しうるさくても、先生の「ちょっと静かに」で本当に静かになる。しかし、遊べる環境や自分の時間はとことんそれに没頭する。

そんな状況が一変した。朝来ればみんな机の上に座り、ベランダはタバコ臭い。授業も荒れに荒れる。後から知った話だが、当時の校長は毎日のように警察まで行って平謝りしていたそうだ。そんな所に自分がいるという虚しさ。そして哀れさ。

よく家に帰って家族に愚痴っていた。「今日はこんなくだらないことがあった」「みんなの会話には知恵がない」そんな事を言ってストレス発散。最悪の思春期である。

そんな時いつも母はこう言った:「大体の高校生なんてそんなもん。あそこ(中学校)が特殊だっただけ。でも、あなたもその中にいるのよ」と。

無事に帰宅部となる。
高校時代の思い出は、家とHMVで聴いたHip Hop、そして家系総本山の吉村家だけである。

ちょっとした1日のルーティーンを紹介。
1.学校から帰宅→パソコン開いてMySpaceでとにかくHip Hopの新譜を漁る→アーティスト名を調べる→どこの誰かを知っていく。

2.学校からHMVに移動→Hip Hop数時間視聴→吉村家を食べる→帰宅。

恐らくこの記事を読んでいる中高生はMySpaceとはなんぞ?と思っているだろう。ざっくり書くと、各アーティストが自らのMySpaceページを持っていて、その中に無料で新譜を公開→アカウントの有無関係なく、誰でもそれを聴くことができる。また、誰でもなんでも書くことができる掲示板を設置するアーティストもいたり、音楽性が強いSNSとして2000年代に欧米で爆発的に流行ったサイトの事である。

家に帰ってやることといえば、ネットに張り付いてMySpaceと睨めっこ。当時はDirty South一色のUS Mainstream Hip Hop: とにかく新しいアーティストや、直感的に「あ、この曲好きかも」を漁りに漁りまくる。こういう事を繰り返していくと、自然と"英語アレルギー"のようなものはなく、何を書いているか・何を言っているかは分からずとも英語に興味を持ち始める。
そして、様々なアーティストのMySpaceページの掲示板に英和辞典片手に勝負を挑み毎日ボロクソに書き込まれた。

「日本から書き込んでます」→「女じゃないなら帰れ」→「みんなはどんな曲を聞いてますか?」→「F○ck You」。

「日本から書き込んでます。みんなと話したい」→「英語分からないなら帰れ」→「I can」→「NOPE」。

ここでへこたれなかった自分を褒めてあげたい。とにかく掲示板に登場するスラング含めた英語は片っ端から調べたし、敢えて輸入盤のアルバムを買うことで日本の和訳なんかなくても自分で調べてやるという根気だけはあった。実際問題、文法のへったくれもなかったし、リリックで見聞きする英単語を調べてはそれを自作の英単語ノートに書いて覚えていく。

別に特別な勉強をしておらず、ずっと高校の教室で寝たふりを繰り返していたのに英語の成績だけは常に上位だった。結局"I"だの"You"だの主語以外は全て調べに調べまくった結果だと思う。
三人称単数?現在完了形?仮定法?なんですかそれは?

さて、そんなこんなで高校2年生も後半を迎える。
友人・仲の良い人?そんなのいませんよ。
ここからの出来事、ドーパミン発動の話はまたの機会に…(その3くらいまであります)。

私に生きる希望をください。