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象徴の3つのレベル、体系と実践

前稿の中で、象徴の3つ種類について、短く私論を書きました。
本稿では、これについて、神秘主義思想や密教の、実践や理論・体系を、例をあげながら考えてみます。

本投稿では、3つの象徴レベルを、1)表象的象徴、2)秘儀的象徴、3)合一的象徴と呼びかえます。

かなり長めの投稿になりました。



3つの象徴レベル


まず、前稿では、以下のようなことを書きました。


「象徴」というこの言葉は、分野によって、人によって、様々な意味で使われます。
「象徴」は、言語が持つ比喩の働きから生まれますが、そのあり方は様々です。
これを、次のような3つのレベルで単純化して考えます。

1)言語のレベル:ラカン的、レヴィ・ストロース的象徴

表象(概念やイメージ)が暗喩・換喩で別の表象を指し示します。

2)錯綜体のレベル:ユンク的、コルバン的象徴

ユンクが定義したように「未知なもの」を指し示します。
「未知なもの」とは、内面的には、特定の表象には収まらない、表象や体験の記憶の錯綜体でしょう。
イスラム哲学の専門家のアンリ・コルバンが言う「創造的想像力」のレベルの象徴です。

このレベルのイメージは、元型的、内発的、変性意識的です。
これらの象徴を意識化して対面すると、人格が変容する、つまり、記憶の錯綜体が組み変わります。

*「錯綜体」という言葉は、ベルグソンやジェンドリンの説を意識しています。

3)力のレベル:密教的、魔術的象徴

象徴が、表象以前の力、運動性の体験へと導きます。
これは、中沢新一が、法界が内蔵する「ゲシュタルト」、「情報」、「波動」と表現するものと同じでしょう。

音や色、光の象徴は、実践ではこの段階の象徴となることが多いでしょう。


後期密教の行法では、象徴的なイメージを観想する場合、上記と対応するような3つのレベル(三薩埵)で深化させます。

1)サンマヤ・サッタ(象徴存在)

瞑想の始めに、仏のイメージなどを作為的に描いたもの。

2)ジュニャーナ・サッタ(智恵存在)

瞑想をしているうちに、サンマヤ・サッタが、動的、強度的、自動的なものに変化したもの。
これは意識的に制御できず、流動的に輝きます。
尊格が実際に勧請(召喚)された、と表現される体験です。

3)サマディー・サッタ(三昧存在)

ジュニャーナ・サッタに一体化するとともに、その形象性を超えて、音や彩光の運動に変化していったレベルです。

このように、後期密教の観想の実践の3段階は、上記した象徴の3つのレベルに対応して深めていきます。

== 以上、修正しつつ引用、終わり ==


本稿では、改めて、

1)表象的象徴
2)秘儀的象徴
3)合一的象徴

と呼び直すことにします。

2)秘儀的象徴を体験する時、普通は、1)表象的象徴のレベルから出発します。
同様に、3)合一的象徴を体験する時、普通は、2)秘儀的象徴のレベルを通過します。


まず、2)秘儀的象徴を扱った、ユンクとコルバンの説を紹介します。
「秘儀的」と名付けた理由でもあります。


ユンクの元型的象徴


ユンクが語ったイメージのほとんどは、元型的イメージです。
「元型」は創造の原基のようなものですが、直接、見ることはできず、元型が生み出すイメージを通してしか見ることができません。

ユンクは、能動的想像法という一種の白昼夢のような状態で、無意識が送ってくる元型的イメージと対しました。

ユンクには複数の元型に関する一種の象徴体系が存在しますが、患者はそれらを勉強せず、自分の無意識が自然に生み出したイメージと対面することが求められます。
ですが、実際には、直接、間接に、ユンク理論の影響が反映されてしまうでしょう。


元型的イメージは、ただのイメージにはない「ヌミノーゼ」、つまり、聖なる感覚や、「マナ」と呼ばれる力の感覚を伴っています。

これらのイメージは、人格の変容(個性化の過程)を迫ります。
ですから、元型的イメージの意識化、瞑想は、一種のイニシエーション(秘儀)の体験となります。

元型的象徴は、何らかの人格の構造そのものに結びついたものだからでしょう。
人格の構造が変わろうとする時に、それを一押しするために、無意識が作り出して、意識に見せるイメージです。

私見ですが、ユンクが認めた元型的イメージであるか、そうでないかの区別には、あまり意味がないと思います。
重要なのは、人格を変容させるような、「ヌミノーゼ」や「マナ」を伴ったものかどうかで、あるいは、それを体験するような変性意識状態にあるかどうかです。


コルバンの創造的想像力の象徴


イスラム哲学の専門家であるアンリ・コルバンは、「創造的想像力」や「想像的世界」といった概念を提唱しました。
彼は、ユンク同様に、エラノス学会を支えた重要メンバーでした。

「創造的想像力」が作る「想像的世界」は、宗教的、神話的なイメージ、物語の世界です。
霊的感覚器官を通して受け取られる形而上学的イメージとも言えます。

イスラム哲学やシーア派の宇宙論では、プラトンの言う叡智界と現象界の間に「中間世界」があるとされることが多いのですが、この世界が「想像的世界」です。
ですが、イブン・スィーナーは、この世界を「中間世界」ではなく、叡智界の階層と平行して、多くの階層を持つ世界であると考えました。

「想像的世界」は、単なる空想の世界ではなく、非物質的な次元の実在の世界とされます。
井筒俊彦は、この世界を、「存在リアリティそのものの象徴的分節」、「全世界がそのまま象徴体系」と表現しています。

「想像的世界」を旅することは、秘儀伝授の物語となります。
イブン・スィーナーやスフラワルディーはこういった物語を語りました。

これらは、物質世界への堕落と霊的世界への復帰の象徴的な物語です。
聖なるカーフ山や、エメラルドの街、永遠の青年、あるいは、霊鳥シームルグといった神秘主義的な象徴が登場します。

この世界の象徴は、秘儀、つまり、人格変容を与える象徴です。


ヴィジョンにおける象徴のレベルの上昇


象徴のレベルの移行に関して、カバラと西洋魔術の例を見てみましょう。
「合一的象徴」と名付けた意味合いに関係します。


・メルカーバー神秘主義

古代のユダヤ神秘主義で行われた有名な行法に、メルカーバーの幻視があります。
これは、「エゼキエル書」などの黙示録に記された神の戦車(メルカーバー)やそこにある神の玉座と神を幻視する脱魂的な、一種の夢見です。
このヴィジョンには、徐々に深まっていく段階が分かりやすく示されています。

まず、どのようなヴィジョンを見るかを、事前に勉強し、イメージを思い描きます。
この時の象徴は、1)表象的象徴です。

実際の幻視内容は、まず、7つの天球層を順次上昇、通過して、さらに7つの宮殿を通過していきます。
そして、4人の大天使が守り、神が乗る戦車を見て、さらに幕で隠された玉座の上に座す光輝く神を見ます。

このヴィジョンの体験は、2)秘儀的象徴の世界です。

その後、さらに神の顔を、そして顔の髭を、そして髭の9つの道を、そして髭の脂を見ます。
そして、最後には神と合一することもありました。

この最終的に神に合一する段階の体験では、象徴は形象性を超えていき、3)合一的象徴に変わりえます。


・パス・ワーキング

西洋魔術が行うイニシエーション的なヴィジョン(夢見、スクライング、アストラル・プロジェクション)であるパス・ワーキングも、メルカーバー神秘主義と構造は同じです。

パス・ワーキングついては、先日のタロットの投稿でも触れましたが、生命の樹の象徴体系に従って、あるセフィロートから上位のセフィロートへと上昇する旅のヴィジョンです。

事前に勉強やそれをイメージする時の象徴は、1)表象的象徴です。

実際のヴィジョンにおいては、出発するセフィロートの宮殿から、パスウェイの世界に入り、目的のセフィロートの宮殿にいる大天使などに出会う旅をします。

このようなヴィジョンは、2)秘儀的象徴の世界です。

ですが、最後に、大天使に抱きしめられ、口から生命力を注入されたり、光とともに力を注入されたりもしますが、この時の体験は、合一的象徴にもなりえます。

やはり、この段階の体験では、象徴は形象性を超えていき、3)合一的象徴に変わりえます。


・その他

こういった観想やヴィジョンの体験は、仙道の存思法、イスラム神秘主義のズィル詠唱でのヴィジョンなど、他の多くの伝統にもあって、同様の構造があります。

ちなみに、この両者のヴィジョンは驚くほど類似性があります。
どちらも最後には、光り輝く神的存在と対面し、自分が光となって、体を脱出し、太陽あるいは、神と一体化します。

これは、明確に、3)合一的象徴を表現しています。


密教的象徴と空性


空思想を前提とする密教が、象徴についてどのように考え、扱ったかについて紹介し考察します。


・サンマヤ・サッタ

密教では、空性(真理)を認識するために、象徴を使用します。
ですが、作為して思い描いた仏のイメージやマンダラ、絵に描かれた仏のイメージやマンダラである、1)表象的象徴を、(勝義の)真理と考えることはありません。

そのため、尊格や曼荼羅のイメージの観想は、常に、虚空から生成され、虚空に消滅させます。
これは、イメージが実体ではなく空であるという認識を徹底させるためです。

また、イメージを観想すると同時に、イメージのない意識状態(空性の智恵の状態)を共存させます。
これを「深明不二」と呼びます。
これも、イメージが実体ではなく空であるという認識を徹底させるためです。


・ジュニャーナ・サッタ

密教では、2)秘儀的象徴については、相対的なものと見なしているようです。

上記した「三薩埵」の瞑想で、1)サンマヤ・サッタから2)ジュニャーナ・サッタに変化した時、最初に思い描いたサンマヤ・サッタの形姿と異なることがあると説かれます。

また、例えば、チベット人でない外人が観想する場合は、文化的背景が違うので、大きく異なる形姿を持った尊格が現われることもある、と亡命チベット僧は説いています。

ですから、2)秘儀的象徴レベルの仏のイメージやマンダラも、個々人にとって異なる相対的なものと見なされます。


・アヌ・ヨガ

通常の密教では、曼荼羅の観想は、細部を順を追って描いていきます。
ですが、ニンマ派が言うアヌ・ヨガ・クラスの行法では、曼荼羅の観想は、本質を重視して一挙に行います。

これは、1)表象的象徴、サンマヤ・サッタをすっとばして、2)秘儀的象徴、ジュニャーナ・サッタから行うということです。

如来像思想によれば、真理は内にすでに存在するのだから、最初からそれを出せばよいという考え方です。


・マハームドラー

密教では、手印を結びますが、この「印」は象徴という意味です。

密教の奥義的な教えであるマハームドラーは、その教えにおいては、密教の修行の最終的な到達段階を示します。
「マハームドラー」とは「大印」、つまり、「大いなる象徴」のことです。

チョギャム・トゥルンパによれば、「マハームドラー」は、自然な心の現われが、それ自身の「象徴」となる状態で、鮮やかで、明確な形態を持ち、創造的なものと表現されます。

密教では、心の現れを仏のイメージや曼荼羅に変容させる修行を行いますが、修行が進めばこれを作為せずとも自然に現れるようになります。
これは、2)秘儀的象徴が自然に現れるということでしょう。

マハームドラーとは、その先で、認識される現実と、曼荼羅の現れが一体化して、象徴を通して象徴が超えられた状態ではないかと思います。


曼荼羅と生理学(チャクラなど)の体系


次に、象徴体系について紹介、考察します。
まずは、密教の曼荼羅やチャクラの象徴体系です。


・曼荼羅

曼荼羅は宇宙の原型としての根本的な象徴体系です。
それは、仏の三身説では報身のレベルに対応する微細なレベルの立体的存在です。

尊格の体系(パンテオン)であり、マクロコスモス(物質世界)、ミクロコスモス(人間の心身の各働き、各部)と照応してそられを生み出します。

象徴体系は、神々でも動物でも天体でも作れますが、曼荼羅は、煩悩を持たない仏を核とした尊格で作られていることが特徴です。
これは、それらが象徴する根源的な能力や運動性が、束縛されずに全面的に活動していることを表現します。

尊格は、形姿のイメージだけではなく、象徴物(金剛杵など)や、種子マントラ(梵字)でも表現されます。
これは、1)表象的象徴だけではなく、2)秘儀的象徴や、3)合一的象徴のレベルにふさわしい象徴だと思います。


曼荼羅の構造は、先駆的形態としては三尊形式があり、「金剛頂経」で初めて5(1+4の中央と四方)部の体系として体系化されました。

その後、後期密教(無上ヨガ・タントラ)において、中央の仏が阿閦如来に入れ代わり、さらには、5仏より根源的な本初仏(金剛薩埵など)が考えられました。
また、仏の化身としての「忿怒尊(守護尊)」のヤマーンタカやヘールカが中央の本尊となりました。

また、母タントラ系では、金剛薩埵部が追加されて6部の体系となりました。
不二タントラのカーラ・チャクラ・タントラも6部です。

このように、曼荼羅の構造は、経典ごとに異なります。
チベットの各宗派には、それぞれ重視する経典がありますが、基本的に複数の経典を学ぶので、どの体系も、一つの真実、一つの見方にすぎないという認識になります。


曼荼羅では、各部の仏と仏母の下に、菩薩、女菩薩、明王、明妃、護法尊などの諸尊格が位置づけられました。

そして、それら尊格には、それぞれに、智、方向、色、手印、象徴物、煩悩、蘊、元素、感覚器官、感覚対象、悪行、体液、行動、日、月など、あらゆるものが対応づけられました。

このようにして、ミクロコスモスとしての心身と、マクロコスモスとしての外界が、曼荼羅の諸尊によって生み出されたものされました。

これは、実践において、あらゆるものを、空なるものであるとして非実体化した後、清浄なものとして再活性化するためです。


曼荼羅の構造は、例えば、5部体系の「金剛頂経」の場合、4仏のそれぞれの下に4大菩薩が四方に配置されているので、その4大菩薩は、二重の象徴性を持つことになります。 

また、八供養菩薩は対角線上に配置されるので、四方の4仏から旋回することになります。 

また、曼荼羅内の各尊格を中央にした曼荼羅も作成できます。

このように、その構造は多重(一即多の相互包括的)で動的な側面があります。


生起次第の行法では、曼荼羅の生滅を観想します。
また、身体部位に小さな曼荼羅を観想(微細曼荼羅)したり、拡大・縮小(広観・斂観)したりします。 

観想は、初心者では1)表象的象徴ですが、熟達者では2)秘儀的象徴、場合によっては、3)合一的象徴にまで至るでしょう。


・生理学(チャクラなど)

曼荼羅の体系とは別に、チャクラ(輪、蓮華)や脈管、ビンドゥ(心滴)の体系もあります。
これらは究竟次第の行法に密接に関係します。

チャクラの体系も、身口意の対応する3部から、6部の体系まで様々です。
チャクラは、種子マントラ、身口意、四大元素、脈管、光輪、仏身、空・明・歓喜のレベル、生死輪廻の期間、意識状態、劫などと対応付けられました。

脈管は、中央と左右の3(1+2)部の体系で、仏や元素などと対応づけられます。

ビンドゥは、3から4部で、仏や明妃、歓喜のレベル、仏身などと対応づけられます。


究竟次第の行法では、プラーナのコントロールを行う前に、脈管やチャクラの観想を行いますが、これらは仮にそう観想するものであり、空であるということが説かれます。

チャクラ部分に種子や金剛杵のような象徴物を観想しながらプラーナの操作を行うことが多いですが、これらの象徴は、プラーナを操作するための意識の集中に役立ちます。
ですが、それだけではなく、その象徴性や種子マントラの波動が、チャクラの波動やプラーナの活性化に関わるのでしょう。

であれば、これらの象徴は、3)合一的象徴です。


・他の伝統

 ちなみに、象徴を身体に配置することは、ユダヤ教カバラ、西洋魔術、仙道でも行われます。
これらにおいても、実践においては、音声の発話、光の視覚化、プラーナの操作などと結びつけられて、3)合一的象徴のレベルが存在します。


タロットの象徴体系


先日、魔術的タロットの歴史に関する投稿をしましたので、最後に、西洋魔術の象徴体系の一例として、タロットの象徴体系に関して書いてみましょう。


魔術的タロットの象徴体系は、様々な象徴体系が結び付けられた多重複合体系です。

・基本的象徴体系

まず、前提として以下のような基本となる象徴体系があり、それらが結びつけられます。

・12宮、7惑星、4大元素、ヘブライ語の22アルファベット、
コート(王、女王、王子、王女)、錬金術の三原質、
エジプト・ギリシャ・ローマのパンテオン、ユダヤ・キリスト教の諸天使

・根本的象徴体系

そして、カバラの生命の樹に基づく根本的な象徴体系があります。
これは、複合的な象徴でもあります。

・10セフィロート:ピタゴラス派の10数の象徴体系や、ヘレニズムの宇宙の階層(原動天、恒星天、7惑星、月下界)、旧約聖書などの複合象徴で、宇宙の原型とされる
・22小径:セフィロートをつなぐ移行の象徴、セフィロートとアルファベットの複合象徴
・4世界:ヘレニズムの諸宇宙論の影響あり
・聖4文字(テトラグラマトン)

・多重複合象徴体系

そして、各カードは、多重な複合象徴体系となります。

・22大アルカナ:小径、アルファベット、3大元素、7惑星、12宮の多重複合体系
・4スート:4大元素、4世界、聖4文字の複合体系
・10ナンバーカード:セフィロート、7惑星、36デカン、72天使の多重複合体系
・4コートカード:コート、4大元素、4世界、聖4文字の複合体系

・タロット・デッキ

また、タロット・デッキによって固有の象徴体系があります。
つまり、ゴールデン・ドーン・タロット、クロウリー・タロットなどタロット・カードなどの種類によって、それが基盤とする思想や象徴に違いがあります。
目的に応じて、これらのカードの使い分けができます。

・現実解釈

そして、現実は多数の属性を持つものであり、それぞれの属性の観点から、多数のカードに象徴されえます。

また、占いなどで出たカードに対応する現実の事態の読み取りも、様々な観点からの解釈が可能です。

・多重性

大アルカナに関しては、セフィロートの象徴は、個々のセフィロートの中に全セフィロートが存在します。 

また、個々のコートカードに関しては、コートとスートで、同じ象徴体系を二重に持ちます。
例えば、水であり火であり、アッシャー界でありイェツィラー界であり、YでありHである、といった具体になります。 

このように、タロットの象徴構造は、一即多の多重な相互包括的構造を持っています。
多重で複合的な象徴は、意味の複雑な重なりであり、固定的な解釈を許さない豊かさがあります。


・実践

タロットの魔術的利用は、上昇局面であるイニシエーションと、下降局面である目的達成魔術があります。
前者は、主に、抽象化されたイメージに関わり、後者は、イメージの具体化に関わります。

前者のイニシエーションは、順次、象徴を内面化して確立していくプロセスです。

個人的作業では、知識の勉強と、それに対する瞑想です。
これは、1)表象的象徴から、2)秘儀的象徴へと進みます。

儀式魔術では、導師らを介して召喚した力を志願者に充填する場合もありえます。
この場合は、3)合一的象徴となります。

後者の目的達成魔術は、特定の象徴に関わる能力を伸ばす実利が目的です。
作業の本質はイニシエーションとほとんど同じですが、最終的に、象徴を具体的な目標としてイメージすることが求められます。
ですから、最後に、1)表象的象徴に戻ります。


音(文字)と光(色)の象徴


上記したように、音(文字)や光(色)で表現される象徴体系は、3)合一的象徴が重視されることが多くなります。
音と光は、最も根源的な象徴だからでしょう。

たとえば、仏教最奥義のゾクチェンは、密教の象徴主義を捨てる傾向が強く、仏のイメージや曼荼羅の観想をほとんどしません。
ですが、光と音の象徴は、結構、残しています。

以下、音と光の象徴体系とその実践について、いくつかの例を挙げて紹介します。


・音(文字)

世界の多くの地域に神秘主義的言語論があります。
そして、アルファベット(文字)の1文字ごとに意味が存在し、文字全体で象徴体系を構成するという説が多くあります。

実践においては、発声されるので、この文字象徴は、3)合一的象徴に至ります。

古神道の言霊理論では、一文字(一音)ごとに意味があるという音義説に基づき、母音(5)×子音(10,15)の50音、75音の象徴体系が説かれます。
これも、発声の実践では3)合一的象徴となります。

カバリストのアブラハム・アブラフィアは、「文字置換法」、あるいは、「結合の智恵」と呼ばれる瞑想を行いました。
これは、特定の呼吸法、姿勢で変性意識状態になって行うものです。

まず、各種の文字の置換法や自由連想の瞑想を通して、文字や単語の真意を見出していきます。

次に、神名である聖4文字(テトラグラマトン、YHWH)を発声する瞑想では、4文字を様々に変化をつけて、身体上の様々な位置に響かせます。
これによって、神の基本属性を体験します。

ちなみに、前投稿と関係づけるなら、清水高志は、ライプニッツ「結合法論」のネタ元であるルルスの「結合術(大いなる術)」について語り、アリストテレス的論理とは異なる論理を見ています。
二人にある結合術(置換法)や普遍言語の思想潮流を少し遡ったところにはアブラフィアがいて、彼の思想の核には、変性意識状態での発声の実践における合一的象徴があったのです。


ちなみに、ルドルフ・シュタイナーが提唱する言語的舞踏であるオイリュトミーは、音(文字)の象徴を身体化したものです。

母音や子音を身体ポーズとして表現し、言語を舞踏として表現、体験します。
ここには身体芸術としての、3)合一的象徴のレベルが存在します。


・光(色)

マンダラの仏も、カバラのセフィロートも、色が対応付けられています。
多くの伝統では、色を伴う光(彩光)の瞑想が行われます。

その代表的な例として、ユダヤ教カバラで行う、セフィロートを彩光として扱う瞑想法があります。

セフィロートは、基本的にその名に代表される観念でその象徴性が表現されますが、同時に、固有の色も持っています。

「踊る光」と呼ばれる方法では、各セフィロートをそれぞれの色で発光させながら、様々な運動させます。
また、「セフィロートの紐帯」と呼ばれる方法では、セフィロートを入れ子状の多重の光の膜の構造を持ったものとして観想します。


*タイトル画像は、シュリ・ヤントラ wikipediaより
:幾何学図形と色だけの抽象性の高い、合一的象徴図


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