見出し画像

どこにもビロングできないからモッズなんじゃないのか

THE COLLECTORSの映画「さらば青春の新宿JAM」を観てきた。
80年代の東京モッズシーンについての概略と、関係者の証言を中心として
THE COLLECTORSの軌跡をたどるドキュメンタリー映画で、とても興味深い作品である。日本のモッズにいまひとつ興味を持てなかった僕には、岡村詩野さんの話がとてもわかりやすかった。

僕はずっとRickenbackerのギター――キラキラしたサウンドとあの美しい形!――に憧れていて、20代の前半は「Rickenbackerを使っているバンド」を探して聴いていた。
そうしてThe WhoやThe Jamを聴くうちに、「Rickenbackerを使っているバンド」は「Mods」というカルチャーの影響下にあるらしいと知り、そこからモッズカルチャーがどういうものか調べはじめた。
「モッズ特集」を謳った『STUDIO VOICE』のバックナンバーや、『まるごとモッズがわかる本』という入門用のムックなど、モッズ関連の本を買い漁った。
まだコーヒーも飲めない青年だった僕は背伸びをして、R&Bやソウルを聴いてみた。
ただ、よく聴いたのはネオ・モッズと呼ばれる時代の音楽で、The JamやThe Chordsのキラキラとしながらも歪んだギターの音が大好きだった。
それでもSmall FacesやThe Kinksはかっこよかったし、最終的に一番ハマったのはThe Actionという60年代のバンドだった。

こうして僕はモッズカルチャーにのめり込んでいったのだけれど、当時の自分にとっては普段からスーツを着るのはModなことではなかったし、「モッズです!」と言えるようなスタイルやファッションをすることにはあまり興味がなかった。多くの文化がそうであるようにモッズカルチャーも「反逆」の一形態として登場したのに、それが流行してひとつの「様式」となり、単なる記号に回収されてしまったように感じて、「モッズ・スーツでキメる」ことはもはやコスプレの一種としか思えなかったのである。僕のモッズ的な要素と言えば、RickenbackerのギターとVOXのアンプを使ったり、ポール・ウェラーの髪型を真似してみたりした――渡辺いっけいみたいになった――ぐらいのものだろう。
日本のモッズ・シーンは、そもそも入ってきた時点で「反逆」ではなく「様式」だったのではないか?と思っていたし、まったく興味がなかった。

しかし、「さらば青春の新宿JAM」を観て、80年代の若者がモッズ・スーツを着てベスパで群れになって走る姿はとてもかっこよかったし、ティーンエイジャーのエネルギーに満ちていた。
当時の大人たちには異様なものに見えただろうと思う。
東京モッズシーンについても調べておけばよかった…!
THE COLLECTORSのスーツ姿に、シーンを背負ってきた矜持を感じた。

僕は、新宿JAMが東京モッズの聖地だったことすら知らなかったが、一度モルグモルマルモで出演したことがある。
その日は途中のサービスエリアで食べた桜えびのかき揚げで具合が悪くなってしまい、5分おきにあの汚いトイレで膝をついて嘔吐した。
ライブはつつがなく終わったが、危ないところだった。
まったくCoolじゃない。しかし、正直に言えば、僕は自分のこういう情けなさがけっこう好きなのである。
僕が胸を張って「モッズです」と言えないのは、――早川義夫の「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」の逆のような――「情けなさ」をCoolと感じるひねくれた精神性に依るのかもしれない。
「モッズになること」はModなことなのか?などと考えてないでやってみればよいのに、とも思うが、かっこいいことを素直にやれないうじうじした自意識が邪魔をするのです。終わらない思春期。
こんなことだからどこにも属せないのだ。

ふじじ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?