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「姫さまのヘルメット」を読んだ

「ぼくらの」や「なるたる」などの漫画作品で知られている鬼頭莫宏先生の短編集「姫さまのヘルメット」を読みました。

本作は鬼頭先生の画業35周年記念ということで、その他にも「ぼくらの」の完全版が刊行されたのも記憶に新しいです。

青春とSF

本作収録作品は、表題作「姫さまのヘルメット」を除いて過去に読み切り等で公表されたもので、「青春」や「SF」がテーマとなっています。

「青春」といっても男女の瑞々しい心の交流とか、スカッと晴れ渡る友情というよりむしろ、ネガティブな感情に焦点をあてて、そこから浮かび上がってくるものを描写しているものが多い気がします。

また、いずれの作品も心地よい余韻とともに、読者に何事かを考えさせる結末になっているのが印象的でした。

収録作品の「ポチの場所」は、SFではありませんが、まさにその要素が強い作品だと思いましたし、本作中で1番好きかもしれません。
小学校の通学路でいつも寝そべっている老犬と、放課後にたまり場となってる古い駄菓子屋の老人。両者の死が、主人公の小学生に言いようのない感情をもたらし、それが棘のように刺さっていく。

無邪気な小学生に起こる心情の変化。その微妙なゆらぎ。鬼頭先生のこうした描写がとても好きです。

思考

この短編集を読み終えた後に、久しぶりに「ぼくらの」が読みたくなり、実家へ帰省した際にコミックスを読み直してみました。

私がコミックスを買い集めていたのは10年くらい前のことですが、今回再読する中で、当時はそれほど記憶に残っていなかったシーンが目に留まりました。

主人公の一人ウシロの父親である宇白先生が、田中一尉と会話をする場面。そこに宇白先生の、考えることは最大の娯楽だという独白が差し込まれていました。そしてそれは、今日の衣食に頭を悩ませずに済む学生期にこそ与えられたもので、自由で可能性に満ちていると。

このシーンを読んで、ハッとなりました。
短編を読み終えるたびに抱いていたあの読後感と、一人でになされた脳内会議を思い出しました。
そして、読者に思考を促すことは、鬼頭先生が漫画を描く上で掲げる大きなテーマの一つなのではないかと想像しました。

生と死

そうした思考のきっかけとなる題材として「生」と「死」ほど十分すぎるものはないでしょう。
「ぼくらの」はまさに「死」を見つめることで「生」を捉え直すというテーマがありありと描かれていますし、この短編集においても、そのほどんどに生死が何かしらの形で描かれています。

表題作でもある「姫さまのヘルメット」は、「リインカーネーション(生まれ変わり)」が題材になっています。先日、再読した際に「ぼくらの」の作中にも「生まれ変わり」の語が使われているのを発見しました。
また、短編集収録の「残暑」や「三丁目交差点電信柱の上の彼女」は、死者がいわば幽霊となって登場しています。

「生」と「死」は反対のものであるけれども、その二つは分かちがたく結びつき、まさに輪廻の環がぐるぐる回っているようなイメージでしょうか。両者を切り離すことなく、一体のものとして考える死生観が鬼頭先生の根底にあるのかもしれません。

おわりに

「姫さまのヘルメット」を読み終えてみて、あらためて鬼頭先生の作品が好きだと思いました。
特に、キャラクターがセリフを発しない表情だけのコマに毎回引き込まれてしまいます。その瞬間に、まさに登場人物の感情の微妙な揺らぎが託されているのだと感じます。

鬼頭先生の長編は「ぼくらの」しか読んだことがないので、いずれは「なるたる」も読みたいですし、現在連載中の「のボルダ」も手に取ってみたいです。

4月24日(日)まで、鬼頭先生の画業35周年の展示が名古屋で開催されていたようです。新潟にも、新潟市漫画・アニメ情報館という打ってつけの場所があるので、ぜひそこでも開催して欲しいですね。

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