森見登美彦氏とわたし【聖地に住む編】恋文の技術の巻

今年の暦が、「恋文の技術」と同じってこと、お気づきですか?
劇中と同じで、11月11日が土曜日です。
いいですか、14時に大文字の火床。
または、13時に銀閣寺です。


さて、いつものように、森見的聖地に引っ越したことをテーマとしたエッセイ。

私は学生時代には東京に住みつつ、京都に住む年上のパートナーと遠距離恋愛をしていた。
社会人になってから、遠距離恋愛の雲行きが怪しくなった。
遠距離恋愛とはとても難しいものなのだ。
音を上げたのは私の方で、パートナー宅へ転がり込むようにして京都へ移住した。

そんな私は、当時の恋人とサヨナラをしたのち、今の妻と出会い、結婚をして、三十歳で金沢市へ移住した。
今は、兼六園にほど近いエリアで妻と息子と二匹の犬と暮らしている。

金沢市がある石川県と言えば、縦に長い地域だ。
その北側のエリアを「能登」と呼ぶ。
海と山に恵まれた自然豊かな地域で、能登を貫くのと鉄道は風情に溢れた素敵なローカル鉄道だ。
のと鉄道の終点・穴水駅の一つ手前に位置する能登鹿島駅は別名を「能登さくら駅」といい、桜の時期になればホームに咲き乱れる満開の桜を見物にくる人で活気に溢れる。

それ以外の時期は閑散としている。初めて能登鹿島駅を訪れたのは雪深い一月だった。
目の前が海だから、何もない。海沿いの国道を先まで行かないと集落もない。コンビニもない。

二度目に訪れたのは雪が残る三月ごろの夜。流れ星を見たのを覚えている。

思えば、私はずいぶんと遠くに来てしまったなあ。


かつて、私は遠く離れて暮らす人へ手紙を書いた。書いて書いて書きまくった。
返事が待ち遠しくて、毎日のように郵便ポストをのぞき込んだ。
文具店や雑貨屋で素敵なレターセットを見かければ、思わず買ってしまった。
もらった返事を、何度も何度も読み返したりもした。

あの頃、私が書いた手紙の総量は、きっと能登中島駅に展示されている鉄道郵便車を満杯にするほどだったと思う。

今となっては、誰かに手紙を書くことなんてほとんどない。

たまには、誰かに手紙でも書いてみようかな。

次回『森見登美彦氏とわたし【聖地に住む編】エピローグ』

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