森見登美彦氏とわたし【聖地に住む編】有頂天家族の巻

もりひろが東京と京都の遠距離恋愛に耐えかねて上洛したときのこと。今日、京都で過ごした数年間の始まりを思い出す。
だが待て、しばし。
上洛したばかりの頃に私の頭を悩ませたものがある。
言うまでもなく、「仕事」である。
新卒で入った某有名企業を早々に辞めてしまったような人間にできる仕事なんてなく、仕事がないと住むところもないのだ。パートナー宅へ転がり込んだとはいえ、そのままのうのうと暮らすわけにはいかない。
だが待て、しばし。
仕事がないものが家賃を払える保証などないのだから、部屋を貸してもらえない。これでは、勢い余って解約した携帯電話さえも契約できないのだ。
そうやって私を悩ませた存在。
言うまでもなく「住所」である。
仕事がないことで住所がなくて、住所がなければ携帯が契約できず、連絡先がないのだから就職活動さえもできやしない。
京都移住からしばらく続く、仕事と住所と連絡先の三つ巴。
これらが私の生活の大きな車輪を廻していた。回る車輪眺めることが、どんなことより面白い。
したがって我が日常はくるしく、退屈しているひまがない。

なんやかんや、いろんな人に頼んだり謝ったりして、仕事も住所も連絡先も得て今に至る。

私が上洛した当初は東一条通りのスーパーはなく、出町柳の枡形商店街内のスーパーを利用していた。
神宮丸太町駅のコンビニは出来て日が浅く、あの界隈の利便性が増す過渡期だったと思う。
枡形商店街を抜けた先には蕎麦屋がある。狸と蛙が描かれたチラシを貼ってアルバイトを募集していた、あの店である。
そこの蕎麦を一度だけ食べたことがある。
大盛りを頼んだところ、なにやら「サービスだ」といって、そびえる蕎麦を出してくれた。とにかく多かった。
食べ終わる頃には「おかわりもある」と言われた。美味しいものにも限度がある。

ちなみに、蕎麦屋の斜向かいあたりにあるお店で髪を切っていた。
美人店長のシャンプーは至福でした。

話は飛んで、石川県に引っ越した頃。
知人が京都のお土産で誰かからもらったという酒を、なぜか私がもらうことになった。
私がくれと言ったわけではないし、欲しいと漏らしたわけでもない。
ただ、「あ、矢二郎兄さんと矢三郎だ!」とコーフンしただけである。

さて、私は京都を離れて久しい。
友人たちが京都で愉快にやっていることを願うばかりだ。

我が友人とその仲間たちに、ほどほどの栄光あれ。

次回『森見登美彦氏とわたし【聖地に住む編】きつねのはなしの巻』

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