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“美”について ー迷い、悩み、生きろ!

こんにちは。
京都へ越して まる一ヶ月、
今、ここにいるタイミングではないかなと見切りをつけて実家の鎌倉に戻ります。

京都には歴史と伝統、受け継がれてきた美しいものがある。
美しいものを見て感銘を「受ける」、コロナの最中ということもあり、美しいモノに触れることもできず、ただ見るだけ。
ある程度 見たいものも、それは表面的な一方的な行為に留まるものでしたが、見たので課題製作に集中するために、帰ることにしました。

今回 記録も兼ね、訪問した場所を書きます。
・高台寺 傘亭・時雨亭
 建築家 篠原一男の「から傘の家」と見比べるため
・京セラ美術館 青木淳
 杉本博司 光について考えた
・東寺
 エネルギーに満ち溢れている.
・平安神宮・泰平閣
 庭が植物園のようになっていて、紅花や草木染めの原料を見れた
・京都府立図書館
 本を借りた
・桂離宮
 船と島がよかった. 松で庭園の全貌を見せないところも.
・イノダコーヒー三条店
 帝国ホテルとかオークラにいる気分
・ロームシアター京都
 前川國男. 「東京文化会館」の屋根 彷彿.
・京都産業伝統ミュージアム
 コロナの影響で触覚体験できず残念
・essence kyoto
 井筒俊彦の話. ものづくりと真剣に向き合いたいと改めて.
・夜の四条河原町〜祇園〜鴨川一帯 自転車で爆走
 夜の建物はまた、綺麗だ.
・河井寛次郎記念館
 「日本民芸館」よりものほほんとしていた.
・京都大学
 京大出身の彼がガイド.
・士心 SAMURAI  restaurant
 滞在お世話になりました.

さて、本題。
本日は「美しさ」について話したいと思います。

私にとって美しいとは、大きなエネルギーを感じさせるもの。

私は現在 28歳ですが、「美しいもの」への価値観がこの数年で大きく変化しました。
それはまるで自分の生き方と重なるようです。
社長秘書をしていた20代前半〜半ば、私は”美しい”空間や振る舞い、モノ、人に触れました。それは貴重な体験でした。私自身もそれらの環境によって、美しい人に育てられたと感謝しています。自分の中に「美しい」とは何か、体験を通じて説明ができるようになったと思います。

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ただ、社長秘書時代に経験した「美」はあくまでも外から刺激を受けて育った後天的な美的感覚でした。「美しさ」を享受して、消費する側の人でした。

今は「美しい」が何かを自分で定義して、形にしたり、それをベースに生きていく側に移行しようと変化をしているフェーズです。

これまでは人が定義する「美」を選んでいた。
これからは自分で試行錯誤しながら「美」を追求していく。

それを意識し始めてから、自身の等身大の感情や悩み、迷い、思想を、
初めから上手にまとめられなくてもいいから、
「言葉」に表していく活動が結構 大事なことなんだろうな、
と思いはじめて思考を整理していくためにも記録しようと思いました。

言葉に表していくこともまた、
美の体現だと私は思うから。

これだけ様々な人の声や思想にあふれた今の世の中で、
自分の「美」が何かについて語ることは勇気がいることだけれど、
今の私にとってそれが何かを言葉にして、形にしていきたい。

私は人間が原始から持つ拙さや不安定さこそが、美だと思っている。
綺麗じゃないけれど、一所懸命に伝えようとする姿勢、そのエネルギーこそが美だと思う。

これはきっと、まだ具体的な技術や表現方法を確立していない私が今、抱く美への期待。
でも、本来 美しさは人の荒々しい暴力にも近い衝動感情から、それはエロスとも言えるかもしれない、危うさこそが美なんじゃないかと思う。

世の中にはたくさんの素材に溢れていて、それからどんな力を借りて、どんな人から知恵を借りて、それは千差万別で、自分にしか調合していくことはできない。
だからこそ、自分のなかに仮決めでもいいから、「美」の定義を持ち続けることが大切なんだと思う。


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