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人間と物語

久しぶりにAmazon Prime より、海外ドラマを一気見しました。
『 W E S T W O R L D 』season 1 です。

ザッと観たので、理解に至っていない部分が多くあり、見終えた現在もモヤモヤするのですが、私たち「人間」について考えさせられるものでした。

私たちの直感や心の声、それがどこから来るものなのか、なぜ人間は「物語」を求めてきたのか、ボルヘスが『詩という仕事について』の中で述べているように、数多に書かれ存在する物語は『イリアス』『旧約聖書』が書かれた時にその頂点を迎えた(それ以降は皆同じことを微妙に違う表現を通じて書いている)にも関わらず、人は物語ることをやめないのか、それは人間の遺伝子(とはなに?)に刻まれた記憶なのか?、
古来から人は物語ることを通じて経験したことのない出来事を体験して、深いところに存在している欲求や欲望を満たしてきました。
いつの時代から人が「物語りたい欲求や意識」が芽生えたのかはわかりませんが、私はスペイン巡礼の時に「アルタミラ洞窟」の壁画を見て、初期の段階から描くことを通じて物語を表現してきたのかと思います。そして声や歌、言葉での物語がはじまり、文字という手段を獲得し『イリアス』などの叙事詩、傑作が生まれました。そして映像で物語を表現することが可能となり、現在は『AI』という新しい物語を表現する方法を手に入れたのだと思います。

私が感じていることは、これまでは人間は文字上や映像という二次元における「何か(生物など)」を想像上の世界で共有してきた時代に対して、
ロボットでは三次元、それは人によっては新しい生命体を人間が二次元の技術を使って(codingなど)”生み出すことができる”と幻想を抱く時代に突入したと思います。そして新生命体を創造できるという幻想、人間が創り出した生命体は人間に似ている容器を持つことから、ここにきて、人間はAI人間という「比較対象」を得たことによって、我々が何者であるのかについて考えるようになるのだと思います。

他者という存在があって、私たちは自分を考えるようになります。多くのことは存在していたものと「比較」することで誕生してきたと思います。人類はこれまでに様々な比較対象を探しては仮の比較対象を見つけ(「神」という対象もそうではないか?)、それがこれからはAIになっていくのではないかと思った次第です。

本能で行ってしまうこと、それらがどのくらい前から人間が初めたのか、或いは人類への進化前の生物がそれを行っていたのか、物語を求め作り出そうとするのは人間という生物にだけ芽生えたものなのか、非常に多くの疑問を改めて意識させるドラマでした。

しかし人間をテーマとした物語はこの世界に多くあり、それは宗教もそうだと思います。私は仏教に触れる機会が多かったので、『 W E S T W O R L D 』は一神教的な価値観に拠る物語構成なようにも思えました。人間が生きていることに意味や目的なんてそもそもなくて、しかし「生まれてきたからには意味がある」(そう信じないと虚無感に襲われたり)、その意味を探して死ににいく側面もあるのだと思います。

私は歴史、HIS STORY をずっと学んできて、自身も物語を消費することが好きです。いつの時代も人は、我々が何であるのかを考えてあらゆる方法で表現してきたと思いますが、新しい「手段」を手に入れた私たちはこれからどうなっていくのでしょう。

最後に太古から現在まで、人は文学や意味がなさそうにみえるものに生きる悦び(それは悲しみや辛さ、煩悩があって悦びや幸せというものが存在する)を見出してきたように思え、それらは一見すると効率が悪く時間も掛かり曖昧なものであり、しかしそれらがこれからの時代に再び求められる時代に突入したと思います。

現状 全く整理されていない文章になりましたが、結局 私が言いたいことも物語のようにとてもシンプルなことを書いているに過ぎないのだと思います。人類が誕生した頃から同じことを人は語っているのか、変化しているのか…


学校の夏休みの課題をほっぽって、物語についてばかり考えていた夏休みだったので、課題やりに学校行きます TT

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