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初期研修2年間を振り返って

3/31を持って、2年間の初期研修を無事に終えることができました。

この2年で感じたことは沢山あるのですが、以下の3点でまとめました。

①DNARの話
②死亡宣告の話
③家族の話



①DNARの話

ちょうど昨年4月頃のことです。
誤嚥性肺炎で入院が必要になった高齢の方に対して、上の先生から「DNARの同意確認してきて」と言われました。

DNARとは、Do Not Attempt Resuscitationの略で、ご本人や家族の意思決定を受けて、心臓や呼吸が止まった場合に心肺蘇生(心臓マッサージや口から呼吸のためのチューブをいれる等)を行わないという意味です。

末期癌や寝たきりの高齢の方の場合は、蘇生行為を行った際に肋骨が折れたり仮に助かっても植物状態になってしまう可能性があるため、何もせずに穏やかな最期を迎えたいというご本人や家族からの願いでDNARの意思表示をされる事が多いです。

理想は、常日頃から最期をどう迎えたいかという話を家族でしていただくのが良いのですが、もちろんそうではない方もいます。

今回のケースでもそうでした。

とても物腰柔らかな優しいおばあちゃんで、DNARの話を聞かれた時に少し驚き、一瞬どこか悲しそうな顔をしていたのは今でも忘れられません。
その後、ご家族での話し合いの時間を作り、結局DNARに同意されました。

その時感じたのがDNARの同意書1枚で、この方が心肺停止になった時に蘇生を行うか否かという最期が決まるという事実です。
そして、リアルタイムで感情が入り乱れているご本人、ご家族に対してその説明を今自分がしているということ。

改めて命を扱うという責任感をひしひしと感じました。


※DNARは患者さん、ご家族の意思に基づくものなので、医療者から押し付けることはありません。中にはもちろんDNARではなく、救命措置を行なってくださいとおっしゃる方もいます。また、DNARはあくまで穏やかな最期を迎えたいという希望をもとにしているため、決してネガティブな意味合いではないということはご留意ください。(尚、この患者さんは入院後の治療で元気に退院されました。)





②死亡宣告の話

人は誰しもいつか必ず亡くなります。そして亡くなった方がどこにいくかは誰にもわかりません。(だからこそ色んな宗教があるんだと思います)
病院は人を救う場所ですが、それでも亡くなってしまう事はあります。

研修医2年目の冬に心肺停止で救急搬送された方がいて、心肺蘇生のリーダーを任され最善を尽くしましたが、その方は亡くなってしまいました。
その方は直前まで家族といつも通り一緒に過ごしていたので、ご家族の動揺も相当大きく、ER中に泣き声が響き渡るくらいでした。

ERは非常にスピード感が重要視される場所ですが、この時ばかりはERである事を忘れて、ご家族に誠意を持ってしっかり時間を作りました。


医師の中には、死は敗北と捉える人もいます。

もちろん救命できなかったのは残念ですが、救命がどうしても困難な時こそ、最期の瞬間を共にする家族のその1ページの記憶がせめて汚れなきものであるような時間、空間を作るのも医師の役目ではないかと感じました。

遺された家族は、葬儀を行い、お墓参りも今後ずっとすると思います。

何十年経っても最期の瞬間を忘れることはきっとないのではないでしょうか?
その時に、“死”という結果は同じでも、どんな時間・空間を過ごしたのかで大きく印象は変わると思います。

僕はそんな気持ちを今後長い医師人生でずっと忘れないようにしたいと思います。


地域研修でお世話になった豊田地域医療センターではお看取りについても学ばせていただき、大変勉強になりました。心から感謝申し上げます。





③家族の話

実は我が家ではハムスターを飼っているんです🐹
もう2年が経ち、すっかりお爺ちゃんハムスターになり、歩き方がゆっくりになりました。たまに目も見にくそうにしています。(ジャンガリアンハムスターの寿命は2年〜2年半と言われています)

家族といえば、昨年10月に生まれた息子はまもなく6ヶ月になり、最近寝返りができるようになったり、ずり這いできるようになりと、成長がとても楽しみです。

どちらも大切な家族なんです。
ただ、息子がどんどんできることが増えてきて希望で溢れているのに対し、ハムちゃんはどんどんできないことが増えてきています。

どちらも愛しき存在ですが、“老い”に対して“悲しみ”を感じている自分がいます。

先ほどの②の話と被るかもしれませんが、誰しも死を迎える運命にあるからこそ、せめて“老い”や“死”を、美しく表現できたらいいなと最近ずっと考えています。


長くなりましたが、4月からは、あいち小児保健医療総合センターという子どもに特化した総合病院に小児科医1年目として働きます。

生まれてきた命、未来に希望を感じる命に関わりたいと思って、小児科医を志し、その夢がひとつ叶います。

そしていつの日か、その未来を感じる命と終わりゆく命をどちらも美しいものとして表現できるような形にできたらと思っています。


笑方箋としても小児科医としても、誰かを笑顔にできる存在でいたいと思っているので、これからも応援よろしくお願いします!

2023.04.01

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