【過去話】中2の娘不登校42日目

朝7時。
いつも通り、三女の部屋に声をかける。

「おはよう。どうするー?」

「行かない。」三女がぽつりと返す。

「そっか。じゃあ、起きてごはん食べよ。」


そう言ってまた一日が始まる。


三女が不登校になってから
毎日繰り返されるこのルーティーン。

今日は学校に行くのか、行かないのか。


彼女が学校へ行かない、ということより
わたしの声の掛け方ひとつで
そのことが決まってしまいそうで怖かった。


どう声をかけたらいいのか?


どうしたらうまくいのか?

どうしたら正解なのか?


毎朝、繰り返し考える。
なんなら前日の夜から考える。


つまり1日中、毎日そればかりを考えていて
わたしは…心底疲れていた。

だったら放っておけば、とも思うのだけど

とりあえず起こさないとダメじゃん!
このままで良いわけないじゃん!

と、盛大にわたしの心がざわつくのだ。


だから毎朝繰り返す。
やりたくもないのに繰り返す。


朝が怖い。

朝が嫌い。


そして今日もまた希望のない朝を迎える。



三女は朝食をとったあと9時から12時まで勉強する。

これは彼女が不登校になってからいろいろ試行錯誤しながら
できあがったルールのひとつ。

ただダラダラと過ごされることを
”わたし”が見ていられなくて
”わたし”が決めたルール。


でもこれだって、ほんとうは、
彼女を見張っていたいわけでもないし
無理矢理勉強をさせたいわけじゃない。


どうしたらいいのかわからないから
少しでもマシなこと、そう思えることをやってみる。
そうすることでとりあえず自分が少しでも安心できる気がして。

だけどほんとうのところ少しも安心なんてできやしない。


ある日のこと。

その日の午前中も学校を休んでいた三女が勉強している傍らで
長女、四女たちも一緒に過ごしていた。

娘たちはみんなで楽しげに、とりとめのない話をしていたけれど
わたしは適当に相槌をうちながら心はここにあらず。

正直、その屈託のない輪の中に入れない自分がいた。
だってわたしの心のうちは常に恐れや疑いの嵐が吹き荒れていたから。



三女が不登校になる前だったら
”午前”という時間は
末っ子の四女と児童館へ行って過ごしたり、
わたし自身を開放できる時間だった。

それなのに、今やずっと縛られている。

縛られているどころか
三女の不登校を知っている人にはなるべく会いたくない。

だからママ友たちとも疎遠になっていく。
しかもそれがいつまで続くのかさっぱり先が見えない。


どんどん、どんどん追い詰められていく。。。


ふと気づくとお昼だった。
玄関にスーパーの袋がふたつ置いてあった。

母から
「サンドイッチと果物、置いておきました。」とメールがきた。


今思えば、それが母なりの最大限の愛情だとわかるけど
当時は母ともうまく関係性を結べていないと思っていた頃。
(母とのことについてはまた改めて)


悩んでいるわたしに
「学校に行かせた方がいい」と言う母。


そんなこと言われなくても分かってる!

わたしだってできるならそうしたいよっ‼

だけどできないから辛いんじゃんっ!!!


”娘を学校へ行かせられない親”として
どんな顔をして母に会ったらいいのかもわからない。


だから何度も母には
「こっちから連絡するまで待ってて。」と伝えてあるのに
こうやって突然押しかけてくる。


もういっぱいいっぱいだった。


それまで母に対して反抗するなんてできなかったわたしが
この日初めてこんな風にメールを送った。


「ありがとう! 

 だけど三女が学校に行けるまで放っておいて。
 こっちから連絡する。」


送ってみて
わたしって冷たいなぁ、と思った。

でも、その一方でほんの少し気持ちが楽になった。


子どもの頃からずっと母には
辛い気持ちや本心を言うことが出来なかった。


言ってはいけない。
傷つけちゃいけない。

そう思っていた。


だけどもう自分の気持ちを我慢しないで伝えよう。

このことをきっかけに、そう思えるようになった。


希望のない朝を迎え続けた毎日に
ほんの少し光が差したように感じた日だった。



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