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『伊藤園「おーいお茶」CMに生成したAIタレントを起用。AIタレントが人間性を獲得する未来』~【新しいweb3ビジネスのアイディアのタネ】2023.10.18


■伊藤園「おーいお茶」CMに生成したAIタレントを起用

 伊藤園が「お~いお茶 カテキン緑茶」のテレビCMにAIタレントを起用した。AIタレント事業を手がける企業AI modelが、自社のAIタレントが採用されたことを10月3日に公表した。

 CMに登場するAIタレントの名称は明らかにされていない。CMはテレビのほか、伊藤園の公式YouTubeチャンネルでも公開されており、本物の人間と見分けがつかないレベルの仕上がりだ。

伊藤園は生成AIの導入にとても熱心ですね。

8月31日にも、パッケージデザインAIを活用している伊藤園の事例をご紹介しました。パッケージデザインそのものを生成させることよりも、それが消費者にどう見えるのかを評価する「評価AI」とセットで使用されていることに価値がある、という内容です。

生成AI全般の問題は、出てくるものがランダムで、評価を人間が感覚的に行わなければならなかったことでした。しかし「評価AI」はAIが生成したものをAIが評価しますし、評価AIで高得点が取れるように生成AIが学習するというスパイラルを作れます。評価者が人間の感覚からデータに移ることが生成AIでも起きる、というのがポイントです。

さて、今回ご紹介するのは、そんな伊藤園がCMタレントに生成AIを活用、というニュースです。

AIタレント、AIモデルは今後増えることは間違いありません。

見た目を自由にデザインでき、歳を取らず、広告主や映像ディレクターが意図した通りに動き、24時間いつでも稼働でき、初期制作費だけで人間よりギャラが安く、そして不祥事を起こしません。

しかし、挙げたこれらのAIタレントの「強み」はすべてAIタレントの「弱み」になります。

そして、これら弱みを克服して真のタレント性を獲得する未来もやってくるでしょう。


クオリティは確かに上がった

この動画がAIタレントが出演しているCMです。

「本物の人間と見分けがつかないレベルの仕上がり」とは正直言えない「不気味の谷」をはっきりと感じますが、確かにクオリティは高くなりました。顔の皮膚が動かないことに注目させないように目を大きく動かして視線をずらすなどの工夫で対処しています。

このCMに登場するAIタレントは、生成AIが生成したままの映像をそのまま使ったわけではないはずです。
AIタレント事業を手がける企業AI modelが生成したキャラクターをベースに、従来からあるCGモーションの技術で作り込み、修正も多数入れているはずです。つまり、AIというよりもCGと捉えた方がいいと思います。

それでも、これまでの3D CGよりもキャラクターを作り出す工程は生成AIによって軽くなっているはずで、CG制作の合理化という面で生成AIは役立っているのだろうと思います。


「名前がない」ことが今回のポイント

CMに登場するAIタレントの名称は明らかにされていない。

としている通り、今回は名前を付けられておらず、タレントとしての個性に注目が行かないようにしています。これは意図的だろうと思います。

その意図の理由はいくつか考えられます。

・生成AIそのものの実験を行うこと自体が目的で、タレントのファンを作りたいわけではなかった。
集英社の生成AIグラビアアイドル「さつきあい」の写真集販売中止事件ように、誰かに似ているという騒ぎを避けたかった。
・仕事を奪われかねない人間のタレントやタレント事務所との関係性に配慮した。

つまり、今回のAIタレントはタレントではなくCGであり、感情移入する対象にならないように配慮されているのではないかと思います。

感情移入するほど、それが人間ではない違和感を与えたり、人間の仕事や人格を脅かす存在に感じる人が増えかねず、ネガティブな反応が起きやすいのが現状です。

あくまでも「お~いお茶」という商品を宣伝することが目的で、ネガティブな騒ぎが起きては本末転倒です。


AIタレントの強みも弱みも「人間性の欠如」

冒頭で

見た目を自由にデザインでき、歳を取らず、広告主や映像ディレクターが意図した通りに動き、24時間いつでも稼働でき、初期制作費だけで人間よりギャラが安く、そして不祥事を起こしません。

といくつかのAIタレントの「強み」を挙げましたが、これらは裏返してすべて「人間性の欠如」につながる要素です。

見た目を自由にデザインできることは、その時々の流行りのルックスになりがちで、複数のAIタレントが出てきた時に似てしまいます。そして時代が変わると古く感じます。

商品としての人間のタレントにも同じことがある程度当てはまるのですが、長年活躍している人間のタレントは時代を超える変化力を持っています。

これが「加齢」の問題にもつながります。
時代を超える変化力を持った人間のタレントは、加齢も味方につけます。経験と成長が上手な加齢に表れて、より魅力的に感じます。若さが売りになる役割から別の役割に転じることもできます。

制作陣の意図通りの演出ができるというAIタレントの「良さ」も、制作陣の能力を超えられないという壁にぶち当たります。タレント・モデル・俳優の個性をいかに引き出すか、監督と俳優の相乗効果や偶然性で作品の魅力が何倍にもなるケミストリーが、AIタレントでは生まれにくくなります。

圧倒的な作家性を持った監督がフルCGやアニメーション作品を完成させるケースはもちろんありますが、作画監督、CGデザイナーなど別のクリエイターとのケミストリーが重要になりますし、アニメ作品などにあるキャラクターが自走し始めてタレント性を持つまでに至ることはあり得ます。そのためには作品の世界で十分に「人間」としての活動経験を積む必要があります。

24時間いつでも稼働できるのは、タレントのスケジュール調整が不要で、複数の現場に同時に行けるというのは確かにメリットです。しかしそのぶん希少性を失います。タレントの価値のひとつは希少性で、これを失うと発注単価が下がったり消費者に飽きられるのが早まったりします。

ギャラが安い、は、覆る可能性があります。タレント性に応じた単価アップもあり得ると思いますが、短期的にはフルCGであることによる制作費の高騰です。ツールの充実やモーションも含めた生成AIの技術進化で安価になる部分もありますが、GPU使用料や電気代、CGクリエイターの人件費増で、ちょっとした撮影には向かない場合もあります。

不祥事を起こさない、は最近とくにタレントに強く求められるスキルですが、不祥事には至らなくてもさまざまな営みを自律的に積み重ねていることが人間タレントの強みの源泉であり、自律的には活動しないAIタレントが魅力を獲得できない理由でもあります。

このように、AIタレントの「良さ」だと考えられるものがすべて、人間の消費者を相手にした時の「弱み」になります。


AIタレントが「人間性の欠如」の弱みを克服する

「弱み」だと理解すれば、克服してくるはず。

人間のタレントには、人間性やドラマを感じます。しかし、会ったことはありません。実在しているかどうかもわかりません。ものすごくよくできたCGを見せられているだけなのかもしれません。

歴史上の偉人にも個性を感じます。伝説じみた伝記からはどこまでが本当なのかを訝しみつつ、妄想も広がります。しかし、会ったことはありません。本当にいたのでしょうか。

アニメキャラクターにも個性を感じます。生きていると感じます。しかし、会ったことはありませんし、会うことはできません。

実在の人物をモデルにしたマンガでは、性格が誇張され、ルックスはかわいらしく描かれ、読者は実在の人物をマンガの中のキャラクター性で理解します。しかし、会うと見た目は違いますし性格も違います。

彼ら彼女らに人間性や物語を感じるのは、キャラクターとして期待される設定を与えられ、活躍譚や不祥事も含めた活動報告がたくさん報じられ、関心を持った人がうわさ話をしたり、感情移入した人が物語を重ね合わせたりしたからです。

彼ら彼女らは、実在しているか、会ったことがあるか、は関係がありません。

映画「マトリクス」のような世界観ですが、突き詰めていくと、消費者は人間やAIタレントに対して同じ仕組みで「人間性」を感じることになります。

AIタレントの「良さ」は人間性がないことに起因していましたが、今後は人間性を獲得するような活動情報が流れるようになるはずです。

もっと高画質で不自然さがないCG技術とデバイスの進化によって、生で見るのと遜色ないレベルのメタバースライブやメタバース演劇を見ることができ、会いに行けるAIアイドルも登場するでしょう。

活動報告がインスタやTikTokで流れるようになるでしょうし、その時のAIタレントの発言や考え方が「差別的だ」と批判されるような「不祥事」も起こすでしょう。ファンは、AIタレント本人の本音を知りもせずにうわさ話に興じるでしょう。

ここまで行けば、AIタレントは人間のタレントと伍することができます。AIタレントはできの悪いCGだと舐めてはいけません。AIタレントが物語を獲得するようになるのは時間の問題です。

まずはAIタレントが「名前」を獲得するところからです。

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