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『芥川賞作「ChatGPTなど駆使」「5%は生成AIの文章そのまま」 九段理江さん「東京都同情塔」』~【web3&AI-テックビジネスのアイディアのタネ】2024.1.19

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■芥川賞作「ChatGPTなど駆使」「5%は生成AIの文章そのまま」 九段理江さん「東京都同情塔」

 「東京都同情塔」は、犯罪者が快適に生活できる高層タワーが建設されるなど、寛容な社会になった未来の日本を舞台に、生成AIが浸透した社会のあり方も描いた作品。

 九段さんは受賞会見で、AI時代に小説を書くことについての考えを問われ「今回の小説は、ChatGPTのような文章生成AIを駆使して書いた」「全体5%ぐらいは生成AIの文章をそのまま使っているところがある」と話し、「これからもうまく利用しながら、自分の創造性を発揮できるよううまくつきあっていきたい」と述べた。

「ChatGPTなど駆使」「5%は生成AIの文章そのまま」という書かれ方をした、九段理江さんの「東京都同情塔」が今年の芥川賞を受賞しました。

人によってはChatGPTを使った作品を「ゴーストライター」のように感じるかもしれませんが、今は作者自身がChatGPTを有効活用することの意義を公言する時代です。「生成AIが浸透した社会の在り方」も描かれているという現代性も、今読むべき作品だとして受賞理由のひとつになったのではないかと思います。

生成AIで芥川賞作品が作られた、は間違いなく言いすぎで、芥川賞受賞作品の制作に生成AIが使われた、に今は留まっていますが、将来は「ChatGPTで芥川賞が獲れる」レベルに生成AIが進化する可能性もあるでしょうし、そのくらいAIが進化した時の芥川賞などの権威性の維持は課題になりそうです。

また、「生成AI」というくらい作品を作るほうに使われる今のAIですが、真骨頂は「評価AI」つまり芥川賞の審査員がAIに置き換えられる状態になることではないかと考えています。


注目は生成AIではない。評価AIの重要性

今の生成AIはランダム生成するガチャ要素が強く、良し悪しを判断するのは未だ人間の役割になっています。

上記の過去記事では、伊藤園が採用したパッケージデザインを生成するAIで、デザインガチャをやることが重要なのではなく、商品が実際に棚に並び、他社の商品と比べられた時に、消費者に手に取ってもらえるかどうかを判断軸にもつ「評価AI」が重要だと述べました。

評価AIが消費者の手に取られる確率が高いかどうかという評価軸を持つことで、相対する生成AI側も評価AIに評価されやすいパッケージデザインを生成するようになります。

また、これまで人間が感覚で選んでいたデザインというものについて、数値やAIの判断などの材料を与えることで、意思決定者が「有名なクリエイティブディレクターの名前」「デザインの好み」「勘」ではなくデータを元に判断できるようになります。

パルコが生成AIで制作した広告については、この広告クリエイティブは生成ガチャで作られたのではなく、パルコデザインを熟知した人間のクリエイティブディレクターが判断者として立っていたことが重要だと指摘しました。

そして将来はこのクリエイティブディレクターがAIによって置き換えられるようになるかどうか、つまり評価AIが作られるかどうかが重要だと締めくくりました。


評価AIの進化と芥川賞の未来

今回の芥川賞受賞作を書くのに生成AIが使われた件についても、作者の九段理江さんの時代をとらえる目と適切なディレクション、プロンプト指示があってこそ受賞に至ったわけです。

文章表現力、ストーリーやキャラクターの推進力など基本的なことに加え、時代を捉える力、社会的非難を浴びない価値観に立脚した批評性、他者に似ていないオリジナリティなど、芥川賞の審査員が審査基準にしているだろうことを理解した「評価AI」が作られたら、生成AIも審査の仕方も大きく影響を受けるはずです。

生成AIは、評価AIに評価されやすい文章を高速で何案も出すようになるでしょう。人間の作者はそれを着想にする場合もあれば、かなりの割合の文章を採用する場合もあるかもしれません。

また、生成AIの手を借りない人間の作者でも、書いた作品を評価AIで診断するようになるでしょう。芥川賞の受賞を足掛かりに売れっ子になることを夢見て、賞を狙って取りに行く人も増えるはずです。

審査員も、評価AIの手を借りて評価論評をするようになるでしょう。候補作品すべてを読み適切に論評するのは大変ですから、大きな手助けになるはずです。ただし、自身の権威性を守るためには公には言わないかもしれません。

作者も審査員もAIの依存度が高まると、人間からの芥川賞の価値評価が下がる恐れもあります。そこで、芥川賞や直木賞などの歴史ある文学賞とは別に、AI部門を設ける流れになるかもしれません。将棋における電王戦のような位置づけでしょうか。

しかし、賞の分離は危険です。今後の未来は確実に制作物のAI活用が進みますので、AIを分離排除したはずの伝統賞の応募作にも確実にAIの助力があった作品が紛れます。審査員側も評価AIの手を借りる人がいるはずです。それが「バレた」ら権威が地に落ちます。

AIは制作にも評価にも使われる前提で、人間が楽しめる作品なのかの一点において評価するようになる、つまり「AIを受け入れる」のが、あるべき文学賞のあり方なのではないかと思います。

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