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『思いどおりになんて育たない』(アリソン・ゴプニック著、渡会圭子訳、森口佑介解説) 【訳者あとがき公開】

2019年7月発行、『思いどおりになんて育たない:反ペアレンティングの科学』の訳者、渡会圭子氏による「あとがき」の全文です。

★森口佑介先生による「解説」はこちら:https://note.mu/morikita/n/nf33f22ad6776

『思いどおりになんて育たない』訳者あとがき

著:渡会圭子

本書の原題は“The Gardener and the Carpenter”、直訳すれば『庭師と木工職人』となる。(カーペンターは大工と訳されることが多いが、本書では家よりも小さなものをつくることをイメージして木工職人とした。)著者に言わせると、最近の親はペアレンティングという考え方にそって子育てをしようとしている。ペアレンティングは木工細工のように、子どもを決まった形の大人に育てようとするものだ。しかし実際に、子育ては植物を育てて庭をつくるようなもので、決して思いどおりにはいかないというのが、著者の主張である。

私自身、子どもが小さいころガーデニングに凝った時期があるが、子育て=庭づくりというのは実に的確なたとえだと思う。ガーデニングの雑誌に出ているような、季節ごとに色とりどりの花を咲かせる美しい庭を夢みてさまざまな植物を買い込んで植えてみるものの、本当に、まったく、思ったとおりにはいかない。

友人にもらった菜の花が根付かないのに雑草はどんどん増えていく。虫がつかないというふれこみのエニシダにびっしり虫がつく。高い球根を買って大事に育てたカサブランカの横で、植えた覚えのないテッポウユリが何本も育って花が咲き誇る。針葉樹であるゴールドクレストを三本、猫の額ほどの庭に地植えしたらすくすくと伸び始め、二階に届きそうなほど大きくなってしまい「ここはあなたのいるべき場所ではなかった」と、泣く泣く切ったこともある。ガーデニングのブログを書いていたら「無知で無責任なガーデナーに植えられて、手に負えなくなったら切られるなんて木がかわいそう!」とかコメントがついただろうか。

他の人が育てたすばらしい庭を見て感嘆し、何種類もの植物を枯らした我が身を顧みてため息をつく。それでも何年かたつと、庭の土と相性のよかった低木が根付き、毎年、花を咲かせるようになる。雑誌に載るような庭からはほど遠いが、個性を持った“自分の庭”ができていくのだ。同好の士の間で情報交換したり、お互いの庭を見に行ったりして、新しい人間関係が生まれることもある。考えれば考えるほど、庭づくりと子育ては似ていると思えてくる。

ときどき通りすがりの人が、庭をほめてくれたり、植物の種類や育て方を聞いてきたりすることもある。自分でもガーデニングをしているという人もいれば、ただきれいだから、という場合もある。これもまた、子どもを育てているときにも起こることだ。同じ年齢くらいの孫がいるというご婦人などに声をかけられたりすると、ほっと安心できる。

しかし最近は、特にネットの世界で、子どもを育てている親に必要以上に厳しい目を向ける人が多いのではないかと感じる。電車のベビーカー、液体ミルク、予防注射の是非など、あまり関係なさそうな人まで攻撃的な言葉で、論争に加わっているように見える。子育てとか親子関係の話題は、誰にとっても身近なことだけに、顔も見えず、匿名も保たれるSNSだと、つい口出ししたくなるという面はあるだろう。それにしても、子ども連れのときの態度や、育て方全般を監視されているようないまの状況では、親は委縮せざるをえないように思え、それはとても気の毒に感じる。

西洋は個人主義で、子どもを育てるときにも個性を重視し、日本ほど他人の目は気にしないというイメージがあるが、子育てのハウトゥー本はたくさんあるというから、きちんと子どもを育てなければならないというプレッシャーがあるのは変わらないようだ。ペアレンティングの考え方に異議をとなえる著者の主張は、子どもは思いどおりには育たないものなのだから、あまり細かいことにこだわらないほうがいい、という親へのエールにも思える。

著者のゴプニック氏も三人の息子を育て、いまでは三人の孫を持つおばあちゃんでもある。本書でも“自分の”孫への特別な愛情について書かれているが、そこには科学者としての冷静な目があり、客観的な分析もなされている。生物学的には、繁殖力を失った雌がその後、何十年も生きる種というのは珍しいものらしい(哺乳類では人間以外にシャチだけと第3章に書いてある)。人間のように幼児期が長く手がかかる種では、親の上の世代が孫の世話をする役割を担うのは、進化の面から好ましい戦略だという。たしかに日本でも、数十年前までは、大家族で子どもが祖父母と一緒に暮らすことが多かった。「おばあちゃん子」という言葉があるように、育児の中心的な役割を引き受けることもあった。いまでも祖父母が子どもの世話をすることは珍しくはないだろうが、一世代で価値観が大きく変わり、親子であっても育児方針がまったく違うことがあるので、細かいところですりあわせをしておかないと、余計なトラブルを招く心配もある。

子どもへの接し方の規範は時代によって変わる。私が育った時代は、抱き癖がつくから泣いてもあまり抱いてあやさないほうがいいと言われていた、らしい。いまはいくら抱っこしても批判されることはないだろう。私が子どもを生んだころは、うつぶせ寝が流行っていたが、今は乳幼児突然死症候群のリスクを高めるということで避けられている。子どもが大きくなって振り返ってみれば、要するにどっちでもよかったんじゃないか……と思うこともたくさんある。

この本は子どもへの接し方を指導する育児指南本ではない。ゴプニック氏は母親や祖母としての経験もふまえ、もっと普遍的な子どもの発達や親の役割、親であることの価値といったものを論じている。それは科学でもあり、哲学でもある。しかし決して難解なわけではなく、わかりやすい例をあげながらユーモアをまぶしつつ説明している。たとえばスマホなどの新しいテクノロジーが子どもの脳に与える影響について論じる部分では、古代ギリシャ時代には「紙に文字を書く」ことがテクノロジーであり、読み書きを覚えることで、対話の力が衰えるという批判があったと述べている。読み書きの発達によって人間の脳が変わったのは確かだが、時間がたってそれが当たり前になったと言う。本、電信、列車……すべて出現した当初は人間を変えてしまうという恐怖や批判の対象だったのだ。現在のテクノロジーと人間の関係も、それと同じ道をたどり、いつか当たり前のものになるだろうと。

話が大きすぎてけむに巻かれたような気になるかもしれないが、現代の私たちには、少し離れたところから広い視野を持って、子どもという存在、そして親の役割というものを考えてみることも必要ではないだろうか。

出典:『思いどおりになんて育たない』訳者あとがき

渡会 圭子(わたらい・けいこ)
翻訳家。上智大学文学部卒業。最近の訳書に、マイケル・ルイス『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋,2017年)、シェリー・タークル『つながっているのに孤独:人生を豊かにするはずのインターネットの正体』(ダイヤモンド社,2018年)、スコット・ギャロウェイ『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(東洋経済新報社,2018年)などがある。

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『思いどおりになんて育たない:反ペアレンティングの科学』

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「ひとりで寝かせるべき?」
「添い寝をすべき?」
「習いごとをさせるべき?」
「それとも、遊びを優先すべき?」

よき親として「すべき」ことは何かを求め、日々悩みが尽きない現代の親たち。しかし、数十年にわたり子どもの学習を研究してきたアリソン・ゴプニック氏によれば、巷の子育ての「べき」論(=ぺアレンティングの規範)には根拠が乏しい。そればかりか、子育てを仕事のように捉える発想自体が、最新の科学的知見に反するのだ。

ほかの動物と比べ、人間の子育てには特殊な点が多い。人間の子どもは、異常に長い期間、親やそれ以外の大人たちから世話を受ける。見る、聞く、遊ぶことすべてを通じて、生まれ落ちたこの世界について知っていく。

・進化の過程で、人間の親子が獲得した「育て、育てられる」関係とは?
・発達研究が明らかにしつつある、子どもの持つ驚くべき学習能力とは?

子どもは親の思いどおりになんて育たない。それこそが、子どもが「学ぶ力」を持って生まれてくる意味なのだから。

発達心理学の第一人者が贈る、優しさと意外性に満ちた、親子の科学。

【目次】
イントロダクション
第1章 ペアレンティングに異議あり
第2章 子ども時代の進化
第3章 愛の進化
第4章 見て学ぶ
第5章 耳から学ぶ
第6章 遊びの役割
第7章 成長する
第8章 未来と過去:子どもとテクノロジー
第9章 子どもの価値
解説:森口佑介


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