他人が幸福かなんて、ほっとけよ。

穏やかで平穏に、暖かく暮らしたいと思う反面、粉々にされて、もがきながら自分を組み立て直したいとも思う。

幸せってなんだろうか。結婚して豊かな家庭を持つ、みたいなステレオタイプの幸福論が通用する時代はとっくの昔に終わってしまって。「私の」幸せを探さないといけなくなった。

才能があることは、幸せとは限らないと誰が言っていた。才能に人生を食い潰されると。ゴッホだの太宰だの、後世に名が残るような連中をみていると、とてもじゃないが幸福に生きていたとは思えない。幸せなやつは、耳を切り取ったり、自殺したりは、たぶん、しない。

才能に生かされて、才能に殺される。それが幸福なことなのか、不幸なことなのか、正直、わからない。

天命、というものがあるのであれば、それを全うする生き方は、汚泥を啜るようなものであっても幸福なのかもしれない。とも思う。

幸福も不幸も全部、自分のなかにしかない。それなのに、外野が勝手なものさしで、幸福の尺度を図ってくる。ひどく暴力的で、しかも自分がそれに参加していることに気がついた瞬間は、最悪な気分になる。

もっと、人は無関心でいい。顔も知らないような誰かの幸せを、不幸せを、囃し立てる必要なんかない。

自分の欲求に素直になりたい。幸せも不幸せも自分のものだと、声高に叫べるように。

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