自分の声なんて、嫌いだった。

ラジオから聞こえるパーソナリティの声は、いつだって軽やかで自信に満ちている。テンポよく軽快なトークと心地いい音楽と。テレビに比べるとずぅと少ない情報量なのに、引き込んでくれる。声にはきっと、力がある。

誰でも、自分の声を録音してげんなりしたことがあるんじゃないかと思う。普段耳にする声と、目の前のラジカセから流れる音。

「こんなのっぺりした声なの!?」

快活に喋っているつもりはないのだけれど、自分のイメージを越えた微妙な声。コンプレックスというほどではないけれど、好きにはなれない。

柔らかい音が好き。雨音とか風に揺れる葉っぱとか。穏やかで柔らかい音。

強い音は苦手。怒っている声とか無意味に大きい音とか。攻撃されている感じがする音。

じゃあ、自分の声は?強くはない。でも柔らかくもない。弱い。弱い音がする。

どう思っているの? 何がしたいの? 本当にそうなの?

そんな風に言われることが多かったのは、きっと声から弱さが伝わっていたから。自分を出せない、弱さ。弱いのは声じゃなくて自分だった。

つい最近、録音した自分の声を聞く機会があった。ファイルをPCに落として、再生するのがすごくおっくうで。気分のいいものじゃないんだろうなぁ、と思いながら嫌々押した再生ボタン。

そこから流れてきた声は「好きだ」と言えるようなものではなかったけれど、昔ほどい嫌でもなかった。

ずっと、ここから逃げ出したくて、でもどこにも行けなくて。そういう部分が声に出ていたんだと思う。逃げることをやめたわけではないけれど、そういう自分を受け止めることは、多分、できるようになったと思う。

まだ、自分の声に力はない。でも、もう弱くはなくなったんだって思う。声をから自分の成長に少しだけ、自信が持てた。

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