すり合わせと対話

日本の製造業の優位性を表す言葉に「すり合わせ」があり、

「組み合わせ」と比較されていたことがあった。

組み合わせでは、図面に記載された数値(例えばネジの径が1.0㎜とか)に基づいて部品が作られ(もちろん公差はある)、それらを組み合わせれば製品が出来るという考え方で、

すり合わせの場合、その数値に記載されたものでは表せない部分を、現場ですり合わせ、カイゼンしていくことにより、品質の良い製品に仕上げていくことを指していたと記憶している。

そういうすり合わせが得意な日本人だが、

「会話はあっても対話がない」[1] という。

ここでいう会話とは「親しい人同士のおしゃべり」であり、

対話とは「異なる他者を理解するための行為、態度」である(平田オリザ著)

確かに、すり合わせは、数値に表せない部分をどう調整していくかという、「言葉で言わなくても分かる」とか「阿吽の呼吸」という関係性の中で成り立つものであり、

考え方の異なる、他者との間では難しいと思う

一方「対話」とは、考え方や立場の異なる他者との間での調整やせめぎあいから、「何とか妥協点を探る」や「落としどころを見つける」作業であり、

「黙っていても通じる」とか「暗黙の了解」などが通じる社会に慣れている人々にはなかなかしんどいと思う。

でも、これからの自分たちは、この「すり合わせ」の技術や、「阿吽の呼吸」が通じる人々との関係性を持ちながら、

他者との間の調整をして、落としどころを見つけていく「対話」もできるようにしていく必要があるのだろうと思う。

それが価値観の多様化した社会をより良いものにするのにつながると、今は想っている。

[1] ポストコロナ期をoきるきみたちへ 内田樹編

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