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インパクトより大切にしたいこと

(本記事の要約版をForbes Japanに寄稿しました。そちらもご覧ください)

1月7日から昨日まで、イギリスに滞在していました。
いまは日本への帰路で、ドーハの空港からこのノートを更新しています。

J.P.モルガンがサポートし、ETICがオーガナイズしている「Impact Lab」というプログラムの一環で、スタディ・ツアーに参加していました。

このスタディ・ツアーでは、就労支援領域で活動する団体や、それらをサポートする中間支援組織など、10以上の団体を視察させてもらう機会をいただきました。

そのなかでも、訪問先のひとつであるThe Entrepreneurial Refugee Network(TERN)という団体のことが少し忘れられないので、と言うよりむしろ、忘れてはいけないと思ったので、ここに記録を残しておこうと思います。

The Entrepreneurial Refugee Network(TERN)

TERNは、ロンドンを中心に難民に起業支援の各種プログラムを提供している団体です。実際に活動を開始したのは2年前なので、まだまだ新しい団体です。視察時には共同創業者のチャーリーから話を聞くことができました。

実は、訪問前にこの団体のホームページをみたときの第一印象は、あまり良いものではありませんでした。正直に言って、TERNの起業支援が中身としてなにか面白いものがあるようには感じませんでした。

彼らの提供しているプログラムは、メンタリングから市場調査のサポート、ファンドレイジングのサポートから資金提供と、はっきり言って「ふつうで」「よくある」のものばかりのように見えたからです。

もちろん、ちゃんと読み込んだり見学したりすれば、さまざまな工夫は凝らしているのでしょうが・・・。

おしゃれでカッコいいページを作っているけど、中身はあるのか、と。

もっと言えば、「そもそも、なぜ難民に対し『起業支援』なのか?」という、事業の意義に対しての疑問を抱いていた、というのが率直なところです。

何らかの事情で祖国を追われ、「ふつうの生活」を送ることも難しいような、そんな難民の人たちに必要なのは、まずは今ある企業に就職し継続して働けるようサポートすることであって、難易度の高い「起業」の支援をすることではないのではないか。

ぼくはそのように考えていました。

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(プレゼンテーションするチャーリー)

しかし、実際に訪問して彼らと議論をする中で、チャーリーはぼくが想定していたものとはまったく異なる角度で難民(の問題)を捉えていることに気付きました。

チャーリーはこう言います。

「たしかに、『まず目指すべきは仕事に就くこと』という考え方もあるだろう」

「でも、たとえ仕事に就けたとしても、多くの難民が最低レベルの賃金水準、生活水準にとどまることを余儀なくされている。これがロンドンにおける現実だ」

「『起業』という解決策は、たしかに万人向けの解決策ではない。誰もが選べる手段ではない。でも、起業して、自分で事業を起こすことは、最低レベルの生活から抜け出したり、自分がやりたいと思ったことにチャレンジできるチャンスでもあるんだ」

「実際、ぼくたちが実施した調査では、47.7%の難民が、こうした生活に甘んじるよりも、自分で事業を起こしてみようか、という検討を過去にしたことがある、ということが分かったんだ」

「当然、難民の方が起業することは、ふつうの人が起業するより遥かに難しい。彼らは、英語が分からないケースもある。マーケットがどうなっているのかも、自分たちの祖国の状況のようには分かっていない。資金調達も簡単ではないし、そもそも様々なコミュニティやネットワークから疎外されている(注:”marginalized”という言葉を使っていました)」

「でも、だからこそ、われわれTERNのような団体が、サポートが、かれらには必要だと思ったんだ」

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(質疑応答の様子)

チャーリーの発想がとても眩しく映ったのは、ぼくの中に

「難民というステータスなのだから、まずは最低限度で良いから生活できるようにする、そういうサポートができていれば、十分なのではないか?」

というような発想があったからだと思います。

これはもっと言えば、ぼく自身の心の中のどこかに、(言葉を選ばずに書けば)彼ら/彼女らをどこか同じ人間として扱っていないような、そんな視点があった。そういうことだとぼくは理解しています。

「理解しています」と書くと冷静に聞こえるかもしれないけど、どちらかというと、恥ずかしい思いでいっぱいでしたし、とても悔しく感じました。

難民というステータスであっても、ひとはひとです。ぼくたちと同様、みずからが望むように生きたいと考えている存在です。

例えば、アフガニスタンからの難民の方がいて、その方は電気工学の学位を持ち電力関係の会社に勤めていた、というようなケースがあったとしましょう(チャーリーによれば、大学を出て専門性を活かして働いていたが祖国の混乱で難民となってしまった、というようなケースは実際に少なくないとのこと)。

その人が、

「祖国では内紛によりその道を断たれてしまったが、自分はやはりエンジニアとして生きていきたい。慣れない土地だが、ここでも再起を図りたい」

と考えたとすれば、不条理にも祖国を追われてしまった彼に対し、自ら希望するように生きるオプションを提供するというのは、一つのあるべき「支援」の形だと思います。

もちろん、ふつうの就労支援サービスを通じ、例えば、スーパーのレジ係やカフェテリアの給仕のような、いわゆる「就労支援の出口として想定されている仕事」にふつうに就く、という選択肢を提供できることは、それ自体は素晴らしいことです。

しかし、それだけでは不十分だろうという洞察が、チャーリーたちがTERNを始めたきっかけでした。

「難民の中には、高等教育も受けていて本来は高いポテンシャルをもっているにもかかわらず、『大学で専門性の高い学位まで取ったわたしが、この国ではカフェテリアでコーヒーを入れる仕事しか選べないのは、なぜなのか』という怒りと諦めの感情を抱えてくすぶっているひとたちが、たくさんいるんだ」

チャーリーは、TERNがなぜ、この社会課題に、このようなアプローチで切り込むのか、とてもクリアな言葉で、熱心に説明をしてくれました。

ぼくがウガンダに住んでいたとき、家の近くのはらっぱで、同じく近くに住んでいるソマリア難民たちとサッカーをする機会が何度かありました。

サッカーなので、同じフィールドで、同じルールで、同じボールを蹴ります。ゴールを決めれば同じように喜びますし、ファウルをされれば当然相手に怒ります。彼らの怒り方は激しく、日本人とはだいぶ違いましたが。笑。

また、「デビッドは良いキックを持っているから、サイドに張ってもらってクロスを上げてもらおう」とか、「ポールは足元があるから、中盤でゲーム作りに貢献してもらおう」とか、それぞれの個性や特技に応じて、どういう役割をゲームのなかで担ってもらうか、自然と考えました。

なぜなら、それがサッカーというものだからです。

TERNでチャーリーの話を聞いた今になって思うのは、きっとサッカーも社会も、本質的には同じことなんじゃないかと。でも、訪問前にはそれに気付いていませんでした。

ちゃんと人間をみること。
だれであっても、ちゃんと人間としてとらえること。バイアスなく。

そういった当たり前のことの大切さを痛感させられた、とても印象に残った訪問でした。

※本noteをベースにした論稿をForbes Japan 2018年8月号に寄稿しました。Web版も、こちらからご覧いただけます。

注:スーパーマーケットやカフェテリアの店員という仕事は、あくまでロンドンにおける「一般的な就労支援の出口」「比較的就きやすい仕事」という意味合いでチャーリーが出した例です。どちらの仕事も極めていけば奥が深い仕事であろう点は、書き添えておきます。

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