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第44話「楽隠居」

時代劇を見ていて、
隠居した侍が活躍するシーンがあった。

昔は、隠居という、
歳を取れば、一線を引く覚悟を決めて、
老後を楽しむ心持ちがあった。

小さい頃、近所には爺さん達が集まり
将棋を指していたものだ。
銭湯に行くと、昼間から熱い風呂に
茹で蛸のように顔を真っ赤にして入っている
爺さんもいた。

西宮の苦楽園に住んでいたときは、
海に走りに行くと
必ず何人かの年寄りが日毎に集まって
四方山話をしていた。
その楽しそうな姿が今も記憶に残っている。

隠居を決め込むには、
相当の覚悟が必要だと思う。

特に、一線で働いていたり、
一代で財を築き上げた人などは、
引き際次第でその人の器がわかる。

一方で、大した力はないが、
うまく立ち回り社長になった人が、
会長になり更にしがみ付くのは見苦しい。

先日、有名な会長の話を聞くことになった。
秘書が何人も付き添って来て、
その中身のなさ、更に言葉に詰まり、
秘書がタイムマネージメントしないと進まない。
終わって「素晴らしかった」と
讃える輩がいるから始末に負えない。
本人は、自分が衰えていることの
自覚は無いのだろうか?

そこに、老害がある。

老害とは、年齢ではなく、
自身の力を誤解することから起こるなら、
若くても老害になるのだろう。

会社の知名度やポジションを崇めて、
本質を見ようとしないこと、
虎の威を借る狐になること、
それは既に老害の境地に至っているのだろう。

知名は伏せるが、
その地域の経済界の
トップが集まるクラブがあった。

僕も、専務に連れられて時々同伴するのだが、
お店では僕の様な若造は
綺麗なお姉さん方からは相手にされない。
ただ、何故かオーナーのママが横について、
いろいろな話をしてくれたものだ。

その一つに
「あの人は日本を代表する企業の会長だけど、
なかなか辞めることができず、
辞めた瞬間に歩けなくなって惨めなものよ。
あなたは自分の足で歩ける人でいなさい」
と話してくれたことがあった。

この歩けなくなるというのは、
本当に歩けなくなるということ以上に
深い意味があり、
自分の足で歩くことの大切さを
感じたものだ。

もう80歳近いママは、
一体何人の経営者を見てきたのだろうか?
その目に映った人の言葉だからこそ、
心を打つものがあったのだ。

さて、隠居に戻ろう。
僕は53歳で会社を辞めて屋久島に住み、
人から見れば隠居している様なものかもしれないが、
幾つかの企業の顧問や大学院の特任教授、
そして政府系の評議員とかを少しやっていて、
毎年秋から年末になると悩むことになる。

来年も続けるべきか否かということだ。

同じ話しかできない、
新しい情報に疎い、
情熱が枯れてきている、
役に立っていないと思えるなら、
やはり引退するべきなのだ。

そんな中で、
何人かの院生や研修生から、
是非続けて欲しいという声を頂くことがあり、
勇気をもらい6年に渡り講義を続けてきた。
もう10月も近い。

自分の好奇心、
情熱の炎は、
残っているだろうか?

もしくは、老害にならない様に
社会から離れて、
新しいことに挑戦しなくては
いけない歳なのかもしれない。

と隠居を夢見るのである。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

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