第48話「がんばれ、オレ」 第49話「ごきげんさん」
がんばれ俺
一年を通して平穏無事ということはない。
嬉しい時、悲しい時、苦しくて辛い時も当然ある。
そして、街を歩いていても下を向きがちになる。
街には、冷たい風が吹いている。
ビルの合間の目の前は、暗く沈んだ灰色の世界が広がる。
心が沈んで、心が折れ、涙が出そうになる。
そんな時に、顔を上げて空を見上げると雲一つない真っ青な空が広がっている。
胸を張り、背筋を伸ばし顔をあげ、冷たい風に立ち向かい「がんばれ、俺」と心を張ってみる。
がんばれ、俺、負けるな、俺、挑戦しろ、戦い続けろと自分を励ます。
それで、心の苦しみが消えるわけでは無いが、それでも生きる勇気が少しずつ満ちてくる。とぼとぼと歩いていた歩調が少し軽く歩幅が広くなった気がする。
目に生気が戻ってくる。
がんばれ、みんな!負けるな、みんな!
そして、もう一度、がんばれ俺って呟く。
ごきげんさん
親しく心許せる人と会うと辛い心も癒されて笑顔が生まれご機嫌さんになる。
特に多くを語るわけでも無いのだが、その人の存在が自分の助けになり、深刻な思いもいつの間にか消えて笑顔になる。
そんな人が一人でもいてくれることを幸福に思う。
そう言う意味で、僕は恵まれてきたとおもう。
多くの人に助けられて、どん底から引き上げてもらい、今に至る。
何も言わなくても、一緒にいて飲んでくれるだけで、心が救われる。
待合せの場所に遠くからその人がやってくる姿を見ると、ホッとしてそれだけで心が軽くご機嫌さんになるのだ。
一方で、僕が人をご機嫌さんにしているかと言うと心許ないけれど、そう思ってくれる人がどこかに一人でもいてくれるのなら、それも幸せで自分自身が救われてご機嫌さんになると思う。
さて、人には離別がある。
会社を辞めるまで親しくしていた人の訃報を聞く、それまで仲良くしていた人とも何かのきっかけですれ違い遠くに離れてしまうこともある。
そして会いに行っておけばよかったなとか、もっとちゃんと顔を付き合わせて話をしておけばよかったなと思うことになる。
あの人は、いま何をしているのだろうか?事業がうまくいって欲しい、幸せで暮らして欲しい、ご機嫌さんでいて欲しい。
きっと、笑顔でご機嫌さんでいることを祈って、ビルの合間から空を見上げる。
追記:
今日は、クリスマスだ。この一年も過ぎようとしている。
年をとると、時間の流れが早くなるように思える。
たいしたことをしてないのか?忙しくなくなったのか?逆説的だけど、忙しい日々の方がやることが多く時間がゆっくり流れるように思える。
振り返ってみると、なんだかんだいってさまざまなトラブルに見舞われることもあったが、平穏無事な一年であった様に思える。もしかしたら、心が痛みに鈍感になってきたのか、諦観しているのか、それとも治癒力が高くなっているのか分からない。まあ、万事塞翁が馬と腹が括れているのかもしれない。
さて、次回で50話をむかえる。これを一括りとして、「屋久島の深い静かな森の塾」としての掲載は閉じることとしよう。
ただ、2週間毎に掲載してきた文章は、思っている以上に大切に読んでくれている人もいることから、不定期になってしまうかも知れないが、「屋久島の深い静かな森で考えたこと」として続けていこうかと今は思っています。
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森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重
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