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屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第四夜

四人目の旅人の話:2022年5月10日

黒ひげ先生は森の中。
コーヒー持ってお邪魔しました。

その日、私はいつも以上にバタバタしていて、約束の時間に遅れてしまいそうで、慌てて森の中を進んだ。森の闇の様子を見たり、音を聞いたりする余裕はなく。

黒ひげ先生はゆったりと現れて、流れている空気や時間が、いつも慌て気味の私とは明らかに違う。それで、私は自分がかなりのせっかちで、毎日時間に勝手に追われていて、何のために生きるのか考えたことがないし、遠い先の目標が持てないということを話した。

例えば、朝早く起きる、身支度や朝食の準備をする、時間が余ったから夕食の準備をしておく、会社へ行けば息を止めて仕事をする、時間と競争するように帰宅し、夕食の準備はできているから、翌日の夕食の準備をする、その翌日はまたその翌日の分・・・

旅行や出張などでリセットされない限り、何らかの「前倒しした成果物」が数回分ずつストックされる。本当はゆっくりする時間を作るために、前倒して何かをするのだけど、少しでも時間が空けばまた別の前倒しをしたくなる。前倒しして、その先に何があるのか、何のためにこんなことをしているのか、いつまで続ければいいのか、、、という気持ちを持ちながら、毎日を繰り返している。

そのうちに、朝起きるのは夜に眠るため、夜に眠るのは朝起きるため、仕事をするのは仕事を終わらせるため(なんらかのアウトプットのためではない)、と考えるようになってきた。では、「生きるのは死ぬため」か。

死に向かって生きていることは自覚していて、だから、いつ死んでも仕方がないと思っている。むしろ、すでに1回死んでいて、「もし私が生きていたら」の世界を見せられているんじゃないかと思ったりする。だからか、自分の人生に責任を感じられなくて、まるで傍観者。

それでも、人生を死ぬまでの消化試合とまでは思っていないし、そこそこの日々を過ごしている。私は私で生まれてきて幸運だと思っているぐらいだ。

でも、何か足りない。

突然、黒ひげ先生に「それは、自分のためのことをしてないからじゃない?」と言い当てられた。

確かに。

あぁそうか、と深々と納得した。自分のためにやっているように見えて、実は全部「タスク」になってしまっていた。単純なことなのに気付かなかったな。やっぱり何も考えてないからか。

言われてみれば、家事は家族のためだし(でも、美味しい料理を作って家族を喜ばそうというポジティブなものではなく、そして嫌々やっている訳でもなく、ただ機械のようにこなす家事)、仕事は楽しいこともあるけど、寝食忘れて熱中するほどではないし、よく考えたら美容院やネイルサロンも私にとっては「タスク」。

私の毎日は、ミヒャエル・エンデの児童文学『モモ』の世界にそっくりだ。時間どろぼうに時間を奪われた村人みたい。『モモ』では主人公のモモが村人たちの時間を取り返してくれたけど、私は自分で取り戻すことができそうだ。

その方法は黒ひげ先生の方法を真似てみることにした。やり始めて3日経ったが一応継続できている。正直なところ、現時点では、それは私の毎日のタスクが増えただけだけど、そのうち、「やらねばならん」から「やりたくてやってる」に変わってくれば良いと思う。

でも、変わらなくても、それはそれでいいか。

さらに、もう1個、目標ができた(忘れていたものを思い出させてもらった)のだけど、それはまだ秘密です。

 
5月10日「時間どろぼう Procrastination is the thief of time. (先延ばしすることは時間泥棒)と言う格言?があるそうですが、前倒しも同じかもしれないと気付きました。」


「自分のために、考えるより行動せよ。」

森の黒ひげBarには、多くの種類のお酒があるのだが、彼女はコーヒーを手にとって話にやってきた。

彼女は、生きることに対して人より真剣味が足りないと言う。そして、せっかちで、何でも前倒しやらないと気が済まないとも言う。これといって趣味もない。学生時代は、やりたいことがあったのに今は無い。社会人になって社会に慣れてきて、自然と諦めてしまったのだとも言う。

きっと、集中して仕事を片付けるのが早いのだろう。一方で、何か一つのことを追求し続けるのは、不得意なのか、それともそれほど打ち込みたいものが見つからなかったのか? 彼女が時間の中で漂っている不思議な感覚に襲われる。

「限りなく透明に近いブルー」と言う村上龍のデビュー作が頭に浮かぶ。僕は、この作品を読んだ時に、ピラミッドが2基上下逆さまについているイメージを持った。上部のピラミッドは、普通に上向きの四角錐であり、もう一つは底辺を一緒にしながら下向きに向いているのだ。

上に行けば行くほど、四角錐は小さく細くなり、下に行けば行くほど同様に小さくなる。人は、落ちていくとしても、中途半端に落ちる人は沢山いるが、徹底的に落ちることを極める人は限られていて、下向きのプラミッドの先端まで落ちることができた人は、殆どいない。底辺まで落ちることができたなら、上向きのプラミッドの頂上まで行き着けるのではないか?と思っていた。

だから、徹底的に落ちて「黒い鳥」を見るのだと。

さて、彼女は、今、どの辺を彷徨っているか?無限に続く様な時間の中を、宇宙遊泳の様にゆったりと覚醒を目指しているのではないか?と言う不思議なイメージを持ったのである。そして、自分のためとは思わないまでも、自分の意思で何かを始めて続けることが、周りから見ると生き生きとしている様に見える様になるのでは無いだろうか? 

何かを成すのに、遅いと言うことはない。考えるより行動せよである。

すると、止まっていた時間と空間が動き出し、自分が動き立ち位置が変わると、社会も同様に動き出し、可能性が無限大にあることがわかる。
そして、継続させることだ。

走り始めたという彼女は、小説を書き始めるのだろうか?
そして、旅に出るのだろうか?
彼女の覚醒の時は、もう近いと僕は感じたのである。

森の黒ひげBarより


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