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はじまり [1994年3月] (001)

 「ヒツジ飼いにならないかい」

 ぼくがカミサンにそう云ったのは、1994年3月のことだ。
 北の地は、まだ歩道の片隅に黒い塊となった雪が少々残っていたものの、日増しに暖かくなってきていた。その日も春を迎える細かな雨が、明るい空から降り注いでいた。

 「ナニソレ?」

 確かに「ナニソレ?」と、言いたくなるのも無理はない。久しぶりの互いの休日、二人は実家のある小樽に遊びに来て、雨の中、連れ出され、他愛もない会話の中で、なんの脈略もなく唐突に「ヒツジ飼い」などと、切り出されても困るものだ。

 ぼくはシバシバこういう発言をする。そのうえ、それをタビタビ実行してしまうのである。今まで「ちょっと行ってくる」と突然、大学受験をやめ、『東南アジア無計画金無し放浪』に行ったり、「映画が見たい」と、『アメリカ横断映画鑑賞バス旅行』に出掛けたのだ。
 高校時代から友人である彼女と結婚してすでに七年。子供には未だ恵まれていないものの、ぼくは好きな映像の仕事につき、彼女は幼い頃から憧れてきた看護師として真面目に働いていた。それなりの収入と楽しい生活。Tシャツをワイシャツに替え、ネクタイを締め、自分を「ワタシ」と呼び、名刺をばらまいてきた。それを当たり前のことのように受け止めてきた。社会人として、妻を持つ夫として。
 しかし、ぼくの中では「なにか」がフツフツムクムクしたモノが常にあった。それは何かに不満を感じたためでも、景気が傾き、仕事量が減ったからでもない。あえて理由をつけるなら、

 「もうすぐ三十になる」

 ということだけだったのかも知れない。

 そんなある日、たまたま書店で手にしたワーキングホリデーの紹介書。ぼくは何故、どのようにしてその本を見つけたのか、全く思い出せない。気がつくとその本を開いていた。

 「ワーキングホリデー」

 その言葉は知ってはいたが、年齢制限があるため諦めていた。しかし、「三十歳まで使用可能」という文字を発見したときの目眩にも似た驚きは、今も忘れられない。

 「変わるなら今しかない」

 何をどう変えるのか、どういう風に変わりたいのか、なぜ変わるのか、ぼくには判らない。ただ「変わりたい」と強く決意したのである。
 そして、ぼくはカミサンにこう切り出した。

 「ヒツジ飼いにならないかい」と。

 カミサンはそんな提案に疑問を感じながらも、ぼくの思いを察してか、それとも彼女も同じような考えでいたのか、はたまた、いつものように冗談を軽く受け流すつもりだったのか、
 「いいわよ」
 と軽く安易に答えてしまったのである。

 そして、そこからすべてがはじまった。
 アオテアロア(AOTEAROA)、白く長い雲が棚引く国、ニュージーランドに向けて。


さっぽろたうん情報(1995年4月号)
出発する前に取材を受け、次号よりニュージーランドからの手記を連載することになった。


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