K. Walton「芸術のカテゴリー」

ケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」(Kendall L. Walton, "Categories of Art," 1970)を全訳したので売ります。

以下から閲覧・ダウンロードできます。PDFで390円です。

芸術知覚の経験を分析することで、芸術批評を支える〈作品それ自体とは別の要素〉の重要性を主張した古典的論文です。「芸術観賞は作品それ自体のみに注意を向けなければならない」とする立場を強く批判し、「意図に関する誤謬(Intentional Fallacy)は誤謬ではない!」と説得的に論じたこの論文は、美学における批評理論の流れを形式主義から文脈主義へと変える大きなきっかけとなりました。

本論文は美学に関するさまざまなリーダー・アンソロジーに収録されており、現代では必読の論文といえます。英語圏美学史の論文のなかでも被引用回数はトップクラスに入りますし、入門書では必ず言及される一本です。

近年では、知覚の哲学の盛り上がりもあって、ウォルトンの立場を再検討しようという動きも出てきました。たとえばBrian Laetzは2010年の論文で、あまりにも議論が説得的であったためにごく当たり前のように受け入れられてきたウォルトンの立場は、実は非常に独特で哲学的に検討に値する立場なのだ、と論じています(”Kendall Walton’s ‘Categories of Art’: A Critical Commentary” British Journal of Aesthetics)。こうした再評価の動きをふまえると、本論文は現代において、単に目を通しておくべき古典論文という以上の、非常に重要な論文であるといえるでしょう。上記のLaetzが述べているように、「seminal(影響力の大きい、独創的な、将来性のある)」という形容詞がぴったりの論文です。


論文の内容は5節に分かれています。以下内容をざっと紹介していきます。

I. 導入 Introduction

「批評家は作品それ自体のみに目を向けるべきだ」という当時批評の主流にあった立場の基本的見解を紹介した上で、以下ではこの立場がミスリーディングであることを論じる、と立場表明がなされます。

II. 標準的性質、可変的性質、反標準的性質 Standard, Variable, Contra-Standard Properties

作品のもつ(知覚可能な)性質を、あるカテゴリーに照らしつつ標準的性質、可変的性質、反標準的性質の三つに分けるという考え方が提示されます。たとえば絵画の平面性(flatness)は「絵画」というカテゴリーにとって標準的だ、とか、絵画の色や構図は「絵画」というカテゴリーにとって可変的だ、などとされるわけです。この区分が、以下でなされる知覚経験の分析において非常に大きな意味を持ちます。

III. 知覚についての一つのポイント A Point about Perception

芸術作品がわれわれに与える美的効果は、その作品のもつ性質のうち、どれが標準的性質で、どれが可変的性質で、どれが反標準的性質かに大いに依存している、ということが論じられます。また、ある作品はさまざまなカテゴリーにおいて見ることができるし、どのカテゴリーにおいて見るかによってその美的経験の内実が大きく異る、という点も本節の重要な主張のひとつです。

この節でそのことを示すために、さまざまな具体例が提示されていきますが、どの事例も興味ぶかく、議論の進め方も非常に説得的です(ピカソの《ゲルニカ》を用いた思考実験は、哲学史上最も有名な思考実験のひとつに数え上げられます)。作品経験についての見過ごされがちな、しかし重要な論点を数多く含む本節は、本論文の魅力的な箇所のひとつといえるでしょう。

IV. 真と偽 Truth and Falsity

芸術作品にはそこで作品を知覚すべき正しいカテゴリーがあり、作品がほんとうに持っている美的性質とは、その正しいカテゴリーにおいて知覚されたときに現れる性質だ、と論じられます。

本節でウォルトンは、作品が正しく知覚されるカテゴリーを確定するための基準をいくつか提示しています。「作品を正しく見ている」と言えるためにはどういう基準を満たしていなければならないのか、という問題を考えるための非常に重要な節です。

この節でも、シェーンベルクの十二音音楽やジャコメッティの彫刻を例に、作品経験についての非常に興味深い分析がなされています。

V. 結論 Conclusion

「結論」と題されてはいますが、本節は単なる議論のまとめではありません。ウォルトンはあらためて作品の「知覚経験」に議論をうつし、作品知覚における訓練の必要性など、芸術知覚についての興味ぶかい論点を数多く提出していきます。この節の議論があることで、ウォルトンの立場は単なる歴史主義・文脈主義にとどまらない、知覚経験重視の興味ぶかい立場となっています。正しいカテゴリーを知るだけでは正しい作品批評はできない、という本論文の重要な主張が含まれる節です。


以上、本論の議論をおおまかに説明しました。

この論文が美学史上の非常に重要な論文であることは上に述べたとおりですが、そういう学術的意義うんぬんよりも、純粋に芸術哲学の面白さを存分に伝えてくれるという意味で、ぜひ読んでいただきたい論文です。非常に素朴な視点から出発し、さまざまな具体例・思考実験を見ていくことで、いつのまにか芸術知覚についての深い分析に連れて行く、というその議論の進め方は見事というほかありません。当たり前だと思っていたところから、ハッとする知見を取り出してくる手腕はさすがですし、興味深いセンスあふれるアイデアが随所に散りばめられています。この論文を読みながら「おもしろい!」と何度つぶやいたことか。分量はやや長めの論文ですが、まったく飽きさせるところがありません。論文執筆のお手本としても、哲学学徒は目を通しておくべき文献でしょう。



別のブログで「訳者あとがき」的な解説を少し書きました。やや専門家向けの解説もありますが、あわせてどうぞ。

ウォルトンのCategories of Artを全訳しました。補足と解説。


宣伝:先日まつなが君がモリス・ワイツ「美学における理論の役割」を全訳しました。こちらも分析美学史上、非常に重要な論文です。合わせてどうぞ。わたしのこの翻訳も、売り出し方や組版など、非常に参考にさせてもらっています。


データ

原典:Kendall L. Walton, “Categories of Art,” The Philosophical Review, Vol. 79, No. 3 (1970), pp. 334-367.

訳者:森功次

バージョン: 2.0(2022.09.03)

ファイル形式: PDF

ファイルサイズ: 787KB

分量: A4判 39ページ(約48,000字)

なお、この翻訳は、いわゆる翻訳権の10年留保にもとづいたものです(旧著作権法第7条および現行著作権法附則第8条)。


購入いただくと、以下に閲覧・ダウンロード用のリンクが表示されます。

pdfで390円です。(まつなが君のやつと比べると分量は三倍近くありますが、値段は破格のたった30円増しです。安い!)


2016/04/16追記

熊本地震支援のために、今後しばらくの売上全額(に多少の色を付けた額)を寄付することに致しました。


※2016/08/30追記

熊本大学の「熊本地震復興事業基金」に「文学部への寄付」という指定で25,000円を寄付致しました。


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982字

¥ 390

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