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Reflection Journal 2019年8月16日 夜

夜の時間にリフレクション・ジャーナルを書いている。今日は、ちょっと疲れたようで、少し眠りについて今起きた。横で、娘が夏の自由研究をやっている。父親が寝ていようが、遊んでいようが、しっかり進めるべきことは自力で進めるところが素晴らしい。いま、「今日は、これで終わりにする」と宣言をして、今日のお勉強は終了である。


1.妻が入院
妻が大腸憩室炎にかかり緊急入院してしまった。那須からお腹が痛いと言っており、それほど急な話はなかったので、格段驚きはなかった。家の近くにある大学病院への入院だったので通いやすい。
妻も、絶食+点滴のみの治療なので、暇をしている。

これで、フィンランドとオランダ行きは難しくなった。正直にいうと、「ちょっと寂しい」という感覚はあるが、それは他と人との関係性にあるようなので、それはそれで大事にしていきたい。

妻の「すまない」という感情があり、その感情に寄り添えたので良かった。折角の機会なので、少し妻との絆を深める機会にしたい。

あと、ちょっとバタバタしていたので、この1週間で少し自分を整えたい感じがある。
やりたいこと
①書道を始める準備を整える
②原住民音楽を探求する
③書籍を書き進める。ご機嫌な状態で色々書いてみたい。
④会社のメンバーとゆっくり話をしてみる
⑤会社の雑用を全部片づける
をやってみる。


2.やさしさの中で生きる(前回は、気ままに生きると表現したもの)
これは絶妙に良い感じである。
①エゴ的な反応がある自分に気づく
②やさしさ・感謝を思い出し、その軸で行動してみる
ただ、それだけ。
ただ、それだけなのだが、ここまでに長い年月がかかったような気がする。
②のやさしさ・感謝ボールの投げ方も特に工夫はないので、本当にシンプルである。
この構造が理解できると、不本意な現実は単なる自分が引き起こしていたことに気づく。「妄想終わり」のブレーキをかけられる。


3.現実の流れを見極める
現実の流れをちょっと側面から見ることによって、
①エゴ・カルマ的なものが引き起こしている現実
②魂の経験として引き起こしている現実
が判別つくようになってきた。
一方で、現実は②しかなく、①として解釈してしまうのかもしれない。

例えば、今回のように妻が入院したという現実に対して、②の観点で何に導かれているのかを考えるのは楽しい。そのようなあっちを見たり、こっちはエゴだったり、みないな解析をしながら生きている。


4.リフレクション・ジャーナルはとても良い
自分の中で、まだまだ火がついていいない感じがあるものの、リフレクション・ジャーナルを書いているとすごく落ち着く。

仕事面の興味が薄れつつある今、本当に気が抜けた感じになっているが、これまで楽しい・効力感を感じていたものが虚妄だったと気づかされる。しばらくは気が抜けた感じになっているが、そんな自分をまずは許そう。

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