Reflection Journal 2019年3月2日 朝

過去のJournalを書いていますが、しばらく書き溜めたものを公開しています。

昨日は、1日葉山に行った。
ひょんとしたきっかけで行くことになったが、昔一緒にリトリートしたメンバーが5名も集まった。
それぞれが、じっくり話をしたわけではないが、たまたまある家に集まった感じである。もちろん、目的もなかった。

①そろそろ動きだそうかと思った
ここ1ヵ月ぐらい低稼働だったので、そろそろ動きたい気分になった。
これがエゴなのかニーズ的なものなのかは判断できないが、ゆったりとした湧き起こる何かがある。そして、何か卒業する感じ がある。

②新しい変容の糸口
家族と過ごす・会社に行く・お客様に行くなどの時間は、目的があるがある+慣れた関係なので、それに気づかない。
しかし、昨日のように何名かが揃うと、「仲間に入れない」「自分を出せない」「寂しいと感じる」何かがある。自分を出すことの躊躇というか、反応的なブレーキがかかり、頭の回転を鈍らせる感じがある。思ったことが口から出てこなかったり、表面的な言葉を探す感じで、楽しめない。

これは多分、意識がない深い部分の親 との関係だろう。

親とは、特に何か気になる関係はない。愛情も貰って育ったと思う。
ただ、親に対しても距離がある感じがある。親が死んでもそれほど悲しまないと思う。何か深い絆みたいなものがない。
自覚はないか、マーニーに占星術を見て貰ったときに、父親との関係などのチャレンジ(挑戦)があり、それは1.5歳のときだったと言っていたのを思い出す。

親との関係で思い出すことを書いてみよう。
①既に、2~3歳ぐらいのときに、親の膝に座っていることに興味がなく、すぐに立ち上がり、おもちゃに没頭した思いが残っている。
②1.5歳ぐらいのときに、雪遊びをしに外に一人で出かけた思い出がある。
③父親は仕事が忙しく、母を放置して、それを悲しむ母親が出てきた。
④その悲しむ姿を見ながら、僕は母を守ろうとしたと思っていたが、実は独立した。
⑤感情を切り離し、独立することで、揺らがない自分を確立した。
⑥全部自分でやる・他人には頼らない。自分で道を切り開く。これまでも全部自分で選んできた。
⑦そういえば、大きな過去を思い出した。大学生のころまで残っていたが、外で食事をすると食事がのどを通らないことがあった。親戚の家で食事が出たときも、親戚と一緒に外食に行ったときも、スキー合宿で夜の食事も。
⑧そんな自分が嫌で、大学時代はラグビー部に入り、大分改善された。そして、ほぼそんなことを忘れていた。しかし、強制的に改善したものの、根底にある何かは変わっていなのかもしれない。
⑨自分の意思とは異なり、強制的に何かを変えられた感じが出てきた。その悔しさ・怒り・もどかしさみたいなものが出てきた。

パンの耳に囲まれた中にいる自分というメタファーが出てきた。


【振り返りをして感じたこと】

「卒業」のイメージは、言葉で表現が難しいが、安定期の装着という感じである。この後、揺れはほとんどなくなった。

メンタルモデル系の話に触れてみたが、特に変化はなかった。メンタルモデルはもう卒業なのだろうか。
メンタルモデルは信念(体に蓄積された記憶)
エゴは想念(エーテル体からの反応)
なんだろうか?

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もりお

組織・人事コンサルティング会社の経営をしています。数年前から成人発達理論を学び、理論の理解と変容の実践について経験を積んでいます。ここでは、加藤洋平氏の指導のもと始めたリフレクション・ジャーナルを共有することを目的に開設したものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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