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Reflection Journal 2019年2月18日 朝

加藤さんから下記のようなメッセージが届いた。

「次回までの小さなアクションプラン:
返信不要なメールに返信しないこと(笑)。メールに対して返信しないと違和感がある場合、その違和感の出所が何なのかを探ること。」

を読んで、しばらく想いを巡らせていた。
半年ほど前は、メールに返信する手が勝手に動く感じだった(クック=グロイター発達段階4.0の反応)。その後、仕事のスピードを落としたので、メールを返信にしないことにそれほど反応はないな~と思っていた。

ちょうど、その後に八重洲ブックセンターに行き、中小企業診断士の企業経営理論のテキストを2冊購入した。社内研修支援サービス(企業向けの研修内製化テキスト)の企業経営(基礎)のテキスト作成の材料にするためだ。

そのときに、一緒に開発しているお客様に、(中小企業診断士の企業経営理論のテキストを2冊買ったところを写真に撮ってシェアしようかな・・・)という思いが巡って、あ!「認められたいんだ」「褒められたいんだ!」 という深くにある欲求がでてきた(発達段階3.0の反応)。

色々な事件がつながった感じである。

自分は無能だ!みたいなメンタルモデルを作った出来事が推測であるが、湧き出てきた。
私が難産で生まれたため(母親は三途の川を渡って戻ってきたようだ)、両親は一人っ子だと思って、「厳しく」「独立」できるように育てたと言っていた。
「厳しく」「独立」という側面と、(推測であるが)「褒められない」「助けてもらえない」的な行動を取ったとすると、「褒められない」「助けてもらえない」という痛みが残ったのだと思う。
「褒められない」から頑張って褒められようとしたし、「助けてもらえない」から自力で頑張ってきたが、問題行動もしてきたと思う。

特に、娘に関しては、無自覚的に「褒める・認める」「基本的に言われたことは何でもOKだし、してあげる」行動を選択していたのは、自分の中のメンタルモデルが作用したのであろう。

表現は難しいが、基本的に親のメンタルモデルを引き継がせるような行動を子供にとってしますが、僕の場合は現在は逆だと思っている。しかし、逆だと思っている行為が僕と同じようなメンタルモデルを埋め込むようなパラドックスになっているような気もする。

【以前に書いたもの】話は長くなったが、「認められたいんだ」「褒められたいんだ!」のうち、「褒められた」が強い。それを見つけた瞬間に、世の中の見方が変わった気がした。

今まで考えていたものごとの裏面について、表面が見えた気がする。
相手への不満は、自分の中にある不満というのも良く分かった気がする。
(自分のメンタルモデルと同じ行動を取る人にイラっとする)
何かを卒業して、新しい何かがスタートした気がする。


【振り返りで感じたこと】
この気づきが一番大きかった。メンタルモデルは、最後は自己否定につながると言われているが、本当にその通り。今から思うと、別に普通のことなのだが。こんなことで、人生を縛っているとは、人生は難しいし、楽しい。


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